氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

第17話 初めてのお茶会

「そろそろアリアもお茶会を経験してみないかしら?」
 春の陽気が心地良く、庭にも色とりどりの花が咲き始めたころ。
 母のイザベラ、アリア、アイザックの三人で、いつものように窓際の席でティータイムを過ごしていると、ふいに母がそんなことを言い出した。アリアはティーカップを手にしたまま不思議そうに小首を傾げる。
「これはお茶会ではないのですか?」
「招待状を出して客人を招く正式なお茶会のことよ」
「正式な……」
 貴族の夫人にとって、お茶会は社交の場のひとつとなっている。
 アリアが来るまえは、母も公爵夫人として年に数回ほど開催していた。アリアも公爵家に嫁いできた以上、いずれは開催しなければならないのだろうが——。
「アリアにはまだ早いのではありませんか」
「あなたはいささか過保護です」
 口をはさんだところ、半ば呆れたようにばっさりと切り捨てられた。
「何もすべて任せようというのではありません。主催であるわたくしの手伝いをしながら、お茶会とはどういうものかを学んでいってほしいのです。雰囲気なども経験してみないことにはわかりませんからね。よそに呼ばれたときのためにも知っておいたほうがいいでしょう」
 貴族として生まれていれば自宅で開催されるお茶会を目にしているので、何となくわかるものだが、アリアは結婚するまでそういう文化に縁のない暮らしをしてきた。確かに母の言うことには一理ある。
「ですが、客人の対応をするのはまだ尚早ではないでしょうか」
「信頼できる方たちをご招待しますので心配には及びません」
 そこまで考えたうえでの提案だったようだ。だからといってアイザックの不安が拭えたわけではない。ゆっくりを腕を組んでソファにもたれかかり、隣でおとなしく聞いていたアリアに目を向ける。
「アリア、君はどうしたい?」
「やってみたいです!」
 彼女の表情からは並々ならぬ意気込みが窺える。
 そういえば、以前、妻の役目を果たせないとかいうショーンの発言を気にしていた。だから早く役に立てるようになりたいと考えているのかもしれない。いささか気負いすぎている感じがして心配にはなるものの、彼女の気持ちを思うと反対はできない。
「無理はするな」
 そう告げるのが精一杯だった。
 そんなアイザックの葛藤をわかっているのかいないのか、彼女はうれしそうに「はい」と返事をすると、あらためて母のほうに向きなおって居住まいを正す。
「お母さま、わたしにお茶会のお手伝いをさせてください。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、精一杯、頑張りますのでよろしくお願いします」
「ええ、一緒に頑張りましょうね」
 そう答えた母は、どことなく満足げで得意げな様子に見えた。

「あの、お茶会の準備ってどういうことをするんですか?」
 一段落して再びまったりと紅茶を飲んでいたところ、アリアがふと思い出したようにそんなことを尋ねた。母はゆっくりと静かにティーカップを戻して答える。
「そうね、まずはどういうお茶会にするのかを決めるの。一口にお茶会といってもその意図や趣向はさまざまですからね。交友を広げるためだったり、親交を深めるためだったり、家の威厳を示すためだったり、情報収集や交渉のためだったりね」
 お茶会のことはよく知らなかったが、まさかそんなにしっかりと考えているとは思わず、アイザックは紅茶を飲みながらひそかに驚いた。女性にとっての社交場というのも言葉どおりのようだ。
「そうすると招待客の人数や候補が必然的に絞られてきますから、その中から最終的に誰を呼ぶかを決めていくの。家格や立ち位置、雰囲気、相性なんかも考慮する必要があるので、けっこう神経を使うのよ」
 肩をすくめるその仕草から、表情から、本当に神経を使うのだろうなと察せられた。
 アリアにとってはまるきり別世界だろう。驚いたように目をぱちくりさせたり、興味深そうに身を乗り出したりしながら、紅茶を飲むのも忘れてじっと聞き入っている。
「当日に向けて招待客の情報を頭に入れておくことも重要ね。家族構成や家のこと、領地のこと、好き嫌い、趣味や特技なんかも把握しておくと会話の助けになるわ」
 このあたりは夜会やサロンにも通ずることだ。主催側でなくても頭に入れておくに越したことはないが、主催側であれば必須ともいえるだろう。
「あとはお茶会そのものの準備ね。設えをどうするか、お茶をどうするか、お菓子をどうするか……うちの使用人は優秀ですから、すべて任せても上手くやってくれるでしょうけど、それではおもてなしとは言えませんからね」
 母はこのあたりのことが得意なようで、センスの見せどころだと張り切っていたのを覚えている。得意ならば楽しいだろうが、そうでなければ頭を悩ませて苦しむことになるはずだ。アリアはどちらだろうか——。
「アリア、こういうお茶会をしてみたいとか何か案はあるかしら」
「えっ……えーと……」
 いきなり質問されて、アリアはあたふたとした様子で考えをめぐらせる。母は急かすことなくにっこりとして待っていた。やがてアリアはおずおずと母を上目遣いで見つめて、控えめに口を開く。
「お庭で、というのはどうでしょうか?」
「あら、いいわね」
 母は笑顔のまま両手を合わせる。
「そろそろお庭も色とりどりの花が咲いてきれいになってきましたからね。庭園でのお茶会は何度か開催してますけど、実際、評判もいいの。ただ天候に左右されますから、屋内に変更できるよう準備はしておかなければなりません。それに——」
 まさか苦しまぎれの提案が通るとは思わなかったようで、アリアは当惑していたが、それでも話を聞くうちにだんだんと真剣な顔になっていった。頷きながら聞き、わからないことがあれば素直に尋ねている。
 もしかしたら、そうやって責任感を持たせることが母の狙いなのかもしれない。
 二人の表情を眺めながらアイザックは何となくそう思った。

 その日から、アリアは母とともにお茶会の準備にいそしんだ。
 未経験ゆえに難しいこともあるが、それでも日々いきいきと楽しみながらこなしているようだ。新しい挑戦にやりがいを感じているのだろう。ティータイムにはお茶会のことで母と盛り上がったりもしていた。

 だが、さすがにお茶会当日はひどく緊張していた。
 起き抜けにカーテンを開け、穏やかな青空が広がっているのを目にして安堵していたが、もうあと数刻でお茶会だと意識すると一気に表情が硬くなる。アイザックの見送りでは笑顔を見せていたもののやはりどこかぎこちない。
「いってらっしゃいませ」
「ああ……あまり気負いすぎるな」
「ありがとうございます」
 後ろ髪を引かれる思いで王宮に向かったが、お茶会が、というよりアリアのことが気になって仕方がない。そのせいで仕事の効率が落ちていたのかもしれない。
「何か気になることがありそうだな」
「……仕事に集中します」
 宰相のメイソンに指摘されてしまった。
 アイザックとしては真面目に仕事をこなしているつもりだったが、つもりでしかなかったようだ。自分の不甲斐なさを恥じ入りながら、気持ちを切り替えてあらためて手元の書類に向かおうとすると。
「いや、急ぎの仕事はないから帰るといい」
 さらりとそんなことを言われて戸惑う。
 確かに家の用事があるときなどは帰らせてもらうこともあるし、急ぎの仕事さえなければわりとそのあたりは自由だが——。
「わたしが帰ったところで意味がないので」
「だが、気がかりなことがあるのだろう?」
「ないわけではないですが……」
 アリアがお茶会を上手くこなせるか心配というだけである。それを正直に打ち明けるのもいささか恥ずかしい。どう答えたらいいかわからなくなって目を伏せると、彼がふっと笑った。
「妻はいまスペンサー邸に呼ばれていてね」
「えっ」
 アイザックは驚いて顔を上げた。
 なるほど——だから彼には最初からすべてわかっていたのだ。スペンサー邸でお茶会が催されていることも、アリアにとって初めてのお茶会だということも、それゆえアイザックが気を取られているのだということも。
「愛妻の初仕事を見守りに行ってもいいのだぞ」
 ニヤリとからかうようにそんなことを言われて、返す言葉に詰まった。本当にそれしきのことで帰ってもいいのだろうか。しばらく曖昧にうつむきながら葛藤していたものの、やがて意を決して立ち上がる。
「お言葉に甘えて早退させていただきます」
「ああ」
 あからさまに笑いを含んだ顔から目をそらしつつ、急いで帰り支度をすると、感謝の気持ちをこめて一礼してから執務室をあとにした。

「お早いお帰りでしたね」
 そう執事に出迎えられ、アイザックは言葉を濁しつつ二階へ上がった。
 さすがにお茶会に参加するアリアを見守るために帰ってきたとは、恥ずかしくてとても言えない。自分でもありえないと思う。もっとも、洞察力に優れた彼ならば言わずとも気付いている可能性は高いが。
 廊下から中庭を見下ろすと、色とりどりの花が咲く中に丸テーブルを設え、色とりどりの菓子やケーキが茶器とともに並べられていた。お茶会はもう始まっているのだろう。四人の女性が席について何やら楽しそうに笑っている。
 招待客は二人。どちらも母のイザベラよりすこし年上の公爵夫人で、そのうちの一人がメイソンの妻であるベルファスト公爵夫人だ。アリアとは初対面だが、見たところ二人とも好意的に接してくれているようだ。
 こう言うと怒られそうだが、おばあちゃんたちに囲まれた孫娘という感じに見える。
 アリアがまだ子供で、他の参加者と大きく年が離れているからこそ、無条件にかわいがってもらえているのかもしれない。何か粗相があったとしても、責め立てられるようなことはないだろうと思えた。
 あっ——。
 どうやらアリアに見つかってしまったらしい。ふいに視線を上げた彼女と窓越しに目が合ったのだ。どう反応していいかわからずそのままじっとしていると、彼女も同じように固まっていた。そのとき——。
 カチャン。
 母から声をかけられ、ハッとした拍子にティーカップに手があたって紅茶がこぼれた。
 すぐに使用人が後始末をして、あたふたするばかりだったアリアは恥じ入った様子で謝罪した。もっとも夫人たちはあらあらと微笑ましそうにするばかりで、誰も気を悪くしていないようだったが。
「ご心配ですか?」
 ふいに隣から声をかけられてビクリとする。
 振り向くと、そこにはどこか生あたたかい微笑を浮かべる執事がいた。たまたま通りかかったのか、アイザックの様子を見にきたのかはわからないが、アイザックが何をしているのかは一目瞭然だろう。
「心配というほどではないが、気になっている」
「そうですね……ですがアイザック様がこうやって眺めていると、アリア様は気もそぞろになり、お茶会に集中できないのではないでしょうか」
 グッ、とアイザックは口を引きむすぶ。
 確かに、アリアが紅茶をこぼしたのは自分に気付いたせいだろう。チラリと中庭に目を向けると、彼女もこちらを気にしてかチラリと目を向けてきた。お茶会に集中してもらうにはここにいないほうがよさそうだ。
「そうだな」
 アイザックは中庭のアリアに向かって軽く手を上げると、そこから立ち去った。
 そのあとは自室にこもり、お茶会を楽しむ女性たちの声を遠くに聞きながら、あまり集中はできなかったものの書類仕事をこなした。

「あ、アイザック様」
 アリアの就寝時間に合わせて寝室に行くと、ちょうど彼女が寝台に上がろうとしているところだった。アイザックも寝台に上がって彼女とともに横になる。
「お茶会はどうだった」
「そうですね……ご迷惑ばかりおかけしたような気がします。教えてもらったことも緊張して忘れてしまいましたし、お茶をこぼしたりもしました。話を振られても気の利いた返事ができなくて……でも皆さんお優しかったです」
 天井を向いたまま訥々と語る。
 夕食のときに母のイザベラは立派に頑張ったと褒めていたが、当のアリアはどこか浮かない顔をしていたので、紅茶をこぼしたことを気にしているのだとは思っていた。
「気の散るようなことをしてすまなかった」
「いえ、わたしの不注意です」
 本来、アイザックが帰ってくるのはお茶会が終わるころのはずだった。なのに姿を見かければ驚くのも当然だろう。それゆえアイザックにも責任の一端はあると思っている。母にも話しておいたほうがいいかもしれない。
「でも、どうして今日はお帰りが早かったんですか?」
「……たまたま仕事が少なくてな」
 彼女は「そうなんですね」と素直に受け入れると、もぞもぞと掛布にもぐりながら頭を寄せてきた。顔が半分埋もれているうえ下を向いているので、表情は見えない。布団のなかで小さな手がそっとアイザックの袖をつかんだ。
「またお茶会を開催したら見に来てくださいね」
「また気が散ってしまうのではないか?」
「今度はしっかりと心の準備をしておきますので」
「……たまたま仕事が少なかったらな」
「成長をお見せできるように頑張りたいです」
「ああ」
 袖をつかまれたまま反対側の手でそっと純白の髪を撫でると、彼女は安堵したようにほっと息をつき、ほどなくしてそのまま静かにすうすうと寝息を立て始めた。
 そんなに焦る必要はないのに——。
 アイザックはかすかな胸の苦しさを感じながら意識的に息をつき、静かに視界を閉じた。