ふと意識が浮上してそっと目を開くと、朝になっていた。
カーテンの隙間からは明るい光が射し込んでおり、鳥のさえずりも聞こえてきて、外を見るまでもなく晴れていることが窺い知れる。アイザックは寝台を揺らさないよう気をつけながら、ゆっくりと体を起こした。
隣では、アリアがあどけない寝顔を見せている。
彼女は朝になると横向きで寝ていることが多い。いまもアイザックのほうを向いていて、幼さの残るやわらかな頬にさらさらした純白の髪がかかり、カーテンの隙間からの陽光を反射して煌めいている。
気に入ってくれるといいが——。
昨晩のうちにサイドテーブルに用意しておいた小ぶりの箱を手に取り、あらためて彼女を見下ろす。そしてまぶしいくらいにかがやく純白の髪に手を伸ばすと、そっとかすかに指先で触れた。
一か月前。
いささか早いが、そろそろ準備を始めるべきかもしれないとアイザックは思い始めた。
約束を交わしたので違えるわけにはいかないのだ。まずはどういうものにするかあたりだけでもつけておくべきだろう。だがこれまで一度も女性に贈り物をしたことがないため、ひとりで考えていても埒が明かない。
「宰相は奥方にどのような贈り物をしていますか」
参考までに、既婚者であるメイソンに尋ねてみることにした。昼食中とはいえ何の脈絡もなくそんな話題を振ったせいか、彼は虚を衝かれたようにパンを持つ手を止めたが、すぐに訳知り顔になる。
「なるほど、確かアリア殿の誕生日は来月だったな」
「……プレゼントを用意すると約束したので」
気恥ずかしさはあるが、これまでもいろいろと相談してきたのでいまさらだろう。軽く冷やかされることはあるものの、相談事についてはいつも真面目に向き合ってくれるので、頼りにしているのだ。
「そうだな、わたしは無難に花や装飾品が多いな」
「装飾品というと?」
「ネックレスや指輪やブローチなどだ」
いいかもしれない——。
花はサイラスがプレゼントしているので避けたいと思っていたが、装飾品なら花にも負けない。形に残る分、特別な記念日の贈り物としてよりふさわしいのではないだろうか。
「ただ、相手の好みを把握していないと難しいぞ」
ひそかに気持ちが盛り上がっていたところで釘を刺されて、現実に引き戻される。
一緒に暮らす中である程度の好みは把握しているつもりだが、さすがに装飾品の好みまではわからない。そもそも興味があるのかもわからない。アリアが身につけているのは細いチェーンに通した結婚指輪くらいなのだ。
「できれば本人と一緒に選んだほうが間違いないな」
「それでは贈り物にならない気がします」
アイザックとしては彼女のために自分で選んだものを贈りたい気持ちがある。一緒に店で選ぶというのは何か違うように感じた。だからといって気に入ってもらえなければ意味がないのだが——。
「本人を連れていかないのなら、店員など詳しいひとに相談しながら選ぶことを勧めておく。君に女性の装飾品を選ぶセンスがあるとも思えんからな。よければわたしが懇意にしている宝飾店を紹介するが」
「ぜひ、お願いします」
彼が懇意にしているところなら間違いないだろう。宝飾店など行ったこともなく、右も左もわからない状態なのでとてもありがたい。縋るように頼むと、メイソンはふっと小さく息をついて表情をゆるめる。
「結婚当初は心配していたが、アリア殿のことを大切に思えているようでよかったよ。レイモンドにもそういう女性ができればいいのだがね」
「…………」
そういえばメイソンは知らないのだろうか。レイモンドにはおそらく本気で好きなひとがいるということを。もっともそれがアリアであれば話せるわけはないだろうが——。
「すまない、余計なことを言って困らせたかな」
「いえ」
内心ドキリとしながらも何でもないかのように冷静に返すと、スープを口に運ぶ。気のせいかメイソンが物言いたげな顔をしているように見えたが、結局、何も言うことなく食事を再開していた。
「ベルファスト公爵よりお伺いしておりました」
後日、メイソンに紹介してもらった宝飾店に赴くと、黒服の男性店員に出迎えられた。すぐに別室——上質で落ち着いた応接間のようなところに案内され、促されるまま奥のソファに腰を下ろす。
「奥様への誕生日プレゼントと伺っておりますが」
「ああ、宝飾品には詳しくないので相談に乗ってほしい」
「承知いたしました」
男性店員は柔和に応じ、テーブル上に用意してあった紙とペンを手元に引き寄せる。
「まずは奥様についてお聞かせ願えますでしょうか」
彼に尋ねられるまま、年齢、背丈、髪色、髪型、瞳、性格、好みなどを答えていく。妻が厄災の姫であることは知っているだろうが、そういう素振りはまったく見せない。ひたすら礼儀正しく応じながら書き付けていく。
「贈り物について何かお考えはありますでしょうか」
「漠然とだが、髪飾りがいいのではないかと思っている」
「髪飾りでございますね」
指輪はまだ成長途中なので嵌めないようにしているし、ネックレスはいつも結婚指輪を提げているので使いづらそうだと考えて、髪飾りにした。単純にアリアの美しい髪を飾りたいという思いもあった。
「いくつか見繕ってまいりますので、お待ちいただけますか」
男性店員が退出し、すぐに紅茶が用意されたのでゆっくり飲みながら待つ。しばらくするとトレイらしきものを持って男性店員が戻ってきた。それをテーブルに置いてからすっとアイザックのほうへ差し出す。
そこには、いくつかの髪飾りが載せられていた。
どれも上質そうで、派手ではないが華やかで気品があってかわいらしく、いまのアリアによく似合いそうだと思った。特に中央に置かれていた一品に目を惹かれていると、白い手袋を渡された。
「どうぞ、お手にとってご覧ください」
「ああ……」
それを嵌めてから、気になっていた中央の髪飾りを慎重に手にとった。
思ったよりも軽い。全体的に白く、たくさんの小花と葉が美しく精緻に象られ、そのあちらこちらに小粒の宝石やパールが鏤められている。髪飾りを動かすたびに宝石がきらきらと美しく煌めいた。
「それは王都一と謳われる名工の作品でございます。こういう意匠はいま若い女性に大変人気ですし、まだお若い奥様にもよくお似合いになるでしょう」
その言葉にアイザックも頷く。
「宝石の色を変えることはできるか?」
「このデザインをもとに新しく作らせましょう」
「それで誕生日前日までに間に合うのか?」
「必ずや間に合わせます」
後日、職人を交えて事細かに打ち合わせをした。デザインは基本的にそのままだがサイズを心持ち小さくして、全体の色と宝石を変えてもらうことにした。
「では、こちらで進めさせていただきます」
——そうして約束どおり誕生日のまえにできあがった。
それはアイザックがいま手にしている小箱の中にある。受け取ったときに確認したが、望んだ以上に素晴らしい出来だった。渡すときを心待ちにしながらも、本当に喜んでもらえるかどうか一抹の不安は拭えずにいた。
「ぅ……ん……」
純白の髪に触れていると、眠っていたアリアが睫毛を震わせてぼんやりと目を覚ました。まだ眠そうにしながらも、アイザックが体を起こしているのを見てもぞもぞと体を起こす。
「おはようございます」
「おはよう」
覚醒しきっていない彼女のまえに小箱を差し出すと、不思議そうな顔になる。
「今日で十二歳だな。おめでとう」
「……えっ?!」
瞠目しながらアイザックと小箱を交互に見やると、ようやく事態を把握したのか、まばゆいばかりに笑顔をはじけさせながら受け取った。
「ありがとうございます。覚えていてくださったんですね。すごくうれしい……あの、いまここで開けてもいいですか?」
「ああ」
ひどく緊張しながらも、それを表情に出すことなくアリアを見守る。
彼女はそわそわとしながら色白の小さな手で小箱を開いていき、その全貌があきらかになると、口を半開きにしたまま瞬きをしてアクアマリンの瞳をかがやかせる。
「きれい……」
熱い吐息まじりにつぶやき、顔を上げる。
「わたし、こんなにきれいでかわいい花細工は初めて見ました。とっても素敵です。本当にありがとうございます。部屋のよく見えるところに飾らせていただきますね」
「……いや、それは髪飾りなんだ」
アイザックは髪飾りを手に取り、きょとんとしているアリアの耳の上あたりにあてがう。それだけで自分は間違っていなかったのだと確信できた。
「よく似合う」
じっと見つめたままそう言うと、彼女の色白の肌はみるみるうちに紅潮していった。うれしいです……と応じる声はいまにも消え入りそうだったが、決して嫌がっているわけではないだろう。朴念仁と言われるアイザックでもそのくらいはわかった。
「あなた、今日が何の日かわかっているんでしょうね?」
身支度をして階下へ降りると、母のイザベラが顔を合わせるなりそんなことを言ってきた。何の日かだけでなく、彼女が何について心配しているのかもわかっている。
「プレゼントはもうアリアに渡しました」
「そう……それならいいのです」
すでに渡しているとまでは思わなかったのだろう。すこし目を見開いていたものの、すぐに安堵の表情に変わった。事細かに詮索されたらやっかいだなと思ったが、どうやらそのつもりはないらしい。
「おはようございます」
ふと背後からアリアの鈴を転がすような声が聞こえてきた。アイザックとはすでに挨拶を交わしているので母に言ったのだろうが、声につられて何となく振り返った——瞬間、小さく息を飲む。
アリアがさっそく髪飾りをつけていたのだ。
一部を編み込んだ癖のない純白の髪に、小花を集めたような髪飾りがきらびやかに彩りを添えている。それはパールのようにかがやく限りなく白に近いアイスブルーで、鏤められている宝石もアイスブルーだ。
そしてドレスもまた限りなく白に近いアイスブルーである。胸元にはプラチナリングが揺れているが、違和感なく調和している。そんなまばゆいばかりに白くかがやく彼女の姿には、神聖ささえ感じられた。
「あ……えっと、これ、さきほどアイザック様にいただいたんですけど、早く見ていただきたくてつけてきてしまいました」
「よく似合っている」
あらためて心からの言葉を贈ると、アリアはほんのりと頬を染めながらうれしそうに顔をほころばせた。それだけでアイザックは十分すぎるほど報われた気持ちになった。
そのとき背後にいた母のイザベラはひどく驚愕していたのだが、アイザックがそれを知ることはなかった。