あれから一週間が過ぎた。
事件については箝口令が敷かれている。そのおかげか現時点で噂が広まっている様子はないようだ。国としても『厄災の姫』にまつわる醜聞は避けたいはずだし、おそらく今後も公表されることはないだろう。
調査も秘密裏に行われた。レイモンド本人への聴取、関係者への聴取、家宅捜索、聞き込み等の結果、危険思想を持つ人物や団体とのつながりは認められず、レイモンド単独の犯行と結論づけられた。
そして、レイモンドには内々に王都追放という処分が下った。
元王族に対する殺人未遂としては異例の軽さだが、アリアは国王夫妻の娘と公式に認められていないし、あまり事を大きくしたくないという事情もある。ゆえに父親のメイソンが責任を持つという形でそう決まったのだ。
その出立が今日である。
メイソンが来て、これから直々に領地に送り届けてくると報告してくれた。今後はふらふらと遊ばせず、領地経営の手伝いをさせようと考えており、王都へ行かせないのはもちろん領地から出すつもりもないとのことだ。
「それなら、最後に一度レイモンドに会わせてもらえませんか」
「……君にはその権利があるだろうな」
メイソンに頼むと、あまり気乗りがしない様子ながらも了承してくれた。
このあとすぐにでもレイモンドを連れて出立する予定だったそうだが、すこし時間を取ってくれるという。アイザックはさっそくメイソンの乗ってきた馬車に同乗させてもらい、一緒にチャーチル邸へと向かった。
「やあ、会いに来てくれてうれしいよ」
応接室に通され、ほどなくしてレイモンドが入室してきた。
いつものように艶やかな黒髪をゆるく片側で束ね、いつものように人当たりのいい笑みを浮かべて向かいに座る。まるでアリアを殺そうとしたことなどなかったかのように。アイザックはついと眉を寄せた。
「反省も後悔もしていないようだな」
「しているさ。もっと綿密に計画すべきだったとね」
「…………」
殴りかかりたい衝動に駆られたものの、膝に置いた両こぶしをグッと握り締めてどうにかこらえる。そして意識的にゆっくりと息をつくと、あらためて真正面からまっすぐに彼と向かい合って告げる。
「今日は聞きたいことがあって来た」
「何だか怖いな」
レイモンドは冗談めかすように苦笑して肩をすくめるが、その雰囲気に流されはしない。あまり時間に余裕はないのだ。真剣な表情を崩さず、射抜くように鋭く見据えたまま単刀直入に問いかける。
「いったい何のためにアリアを殺そうとした?」
父親のメイソンが聴取した内容については聞いているが、どうにもしっくりこない。だから直に顔を合わせて問いただしたいと思ったのだ。呼応するようにレイモンドもすっと笑みを消して答える。
「彼女は生きているかぎり厄災でしかない」
「君はそんなに愛国心の強い人間ではないだろう」
「愛国心、ね……」
うっすらと自嘲するような笑みを浮かべながら、ひどく含みのある言い方をした。まるで的外れだと言わんばかりに。どういうことなのかとアイザックは眉をひそめる。
「この国を守るためではなかったのか?」
「結果的にそうなるかもしれないが、僕の思いは別にある」
「わかるように答えろ」
焦らすような言い方されて苛立ち、焦り、詰問する。
それでも彼は動じない。ふっと息をついてこころなしか表情をゆるめると、思わせぶりにアイザックを見つめ、そのままゆっくりと言い聞かせるように語っていく。
「僕が守りたかったのは、厄災の姫を押しつけられてしまった君だ。彼女が死なないかぎり離縁もできないだろう。厄災から救いたかった、厄災の姫から解放してやりたかった……そう言ったら信じるか?」
どういうつもりだ——?
同じ学校に在籍していたため子供のころから面識があり、最近は交流も増えて友人と言っていいくらいにはなっていたかもしれないが、そこまで親しいわけではない。なのにいきなり自分を救うためにやったなどと言われても。
「信じられるわけがないだろう」
「ならもう話すことはない」
まるで答えを予想していたかのように間髪を入れずに応じると、レイモンドはすっと立ち上がって扉へ向かう。あわててアイザックもはじかれたようにソファから立ち上がった。
「待て」
「さよならだ」
わずかに振り返り、うっすらと微笑を浮かべてグリーンアイをこちらに流す。
その表情に、声音に、視線に、アイザックはゾクリとするほど感情を揺さぶられた。返す言葉を見つけられずにいるうちに、彼は扉を開けてさっさとひとりで出て行ってしまう。心残りなどないかのように。
バタン、と扉が閉まった。
追って問い詰めたところで彼はきっと何も話さない。そう確信した。
本当の動機は何がなんでも隠し通したかったのだろう。だからあんな嘘をついてまでごまかそうとしたのだ。もしかしたら好きなひとが関係しているのかもしれないが、それが誰かはわからないままである。
アリア、という可能性もあるのか——?
どうせ結ばれないなら、いっそ自分の手で殺してしまおうと考えたのではないか。理解したくもないが、世の中にはそういう歪んだ愛もあると聞く。いまとなってはもう何が本当なのか確かめようもないのだが。
「…………」
アイザックは閉まった扉のまえで立ちつくしたまま、グッとこぶしを握った。短く切りそろえた爪が手のひらに食い込むくらいに。
「そうですか」
レイモンドが領地に向けて出立したこと、そのまえにチャーチル邸で面会したこと、すこしも反省してなかったことなどを簡潔に報告すると、アリアはそう言ってティーカップを置きながら顔を曇らせた。
「何を考えているのかわからなくてすっきりしないだろうが、これですべて片付いたと思うしかない。あいつのことなどもうきれいさっぱり忘れてしまえばいい」
「はい」
答える声は物憂げだ。
十分に休養したおかげか、体調も外傷も生活に支障がないくらいには回復しているが、心に負った傷はそう簡単に癒えるものではない。まだ表情は暗く、時折ひどくつらそうに苦しそうに考え込んでいたりする。
そのためいまは教育を中止して、お茶をしたり本を読んだりとのんびり過ごしてもらっているところだ。アイザックもなるべく彼女の様子を気にかけるようにしているが、他にできることがないのがもどかしい。
「あと、こんなときだが明日にでもサイラスが夫妻で訪問したいと言っている。体調が優れなかったり気が進まなかったりということであれば、断ってくれてかまわない。サイラスにも君の意思を最優先するよう言われている」
「わたしは大丈夫です。サイラス様にもアンジェラ様にもぜひお会いしたいです」
ふわっとほころんだ表情からも、うれしそうな声音からも、嘘偽りのない率直な気持ちのように思えた。だからといって本当に大丈夫かどうかはわからない。家族以外と会うには気力も体力も必要になるはずだ。
「当日、やはり難しいと思ったら遠慮せずに言ってほしい」
「ご配慮ありがとうございます」
そうは言うが、よほどのことがないかぎり彼女からは言い出さない気がするので、自分や母がしっかりと様子を見ておく必要があるだろう。アイザックは表情を動かすことなく冷めた紅茶に手を伸ばし、口をつけた。
翌日、アリアは特に問題なさそうだったので、約束どおりサイラス夫妻の訪問を受けた。
アイザックとアリアが応接室に入ると、サイラスがどこか心配そうな顔をしてパッと立ち上がり、つづいて隣のアンジェラがゆっくりと立ち上がった。彼女の腕には淡いピンクと白の花束が抱えられている。
「アリア、この花束はわたしたち二人で選んだの。もらってくれるかしら」
「ありがとうございます……うれしい」
それを受け取ると、アリアは優しいまなざしで見下ろしてふわりと微笑んだ。サイラスもアンジェラもほっとしたように表情をゆるめる。二人ともやはりアリアの精神状態を心配をしていたのだろう。
花は使用人に活けてもらい、四人はソファに座って紅茶を飲みながら話を始める。
「話は聞いたよ。まさかあいつがそんなことをするとは思いもしなかった……いや、いまさら蒸し返すことじゃないな。もう二度とあいつが王都に足を踏み入れることはないんだから、忘れてしまえばいい」
「はい……」
アリアはそう返事をしながらも隠しきれない戸惑いをにじませた。それに気付いてか否かサイラスは申し訳なさそうに肩をすくめる。
「まあ忘れるのも難しいだろうけどさ」
「充実した日々を過ごしていれば、そのうち思い出している暇なんてなくなりますわ。ですからわたしともたくさん楽しいことをしましょう。お茶会はもちろん、観劇なんかも一緒に行ってみたいと思っているの」
フォローするように意気揚々と声をはずませたのはアンジェラだ。しかしアリアが何か物言いたげな素振りで目を泳がせるのを見て、きょとんとして小首を傾げる。
「仲良くしてくださるのではなかったの?」
「ですが……わたしと一緒にいたら……」
「占いなんて気にしていないと言ったはずよ」
「アンジェラ様を危険には巻き込めません」
そういうことか——。
レイモンドがいなくても、別のひとに狙われるかもしれないとアリアは考えているのだ。おそらく『厄災の姫』を信じるひとは他にもいるだろうし、強硬な手段に出られる可能性もないとは言えない。
いつもは楽観的なサイラスもさすがに否定することはできないようだ。ひどく悩ましい顔になり考え込むような様子を見せる。しかしながらアンジェラだけは少しも動じることなく平然としていた。
「心配なら何人か護衛をつければいいのよ。わたしだって狙われる危険があるのだから、お互いさまだわ」
事もなげに言い放つ。
考えてみれば確かにそのとおりで理屈は間違っていない。だからといって当人としてはそう簡単に納得できないだろう。困惑するアリアに、アンジェラはふっと表情をやわらげて静かに語りかける。
「わたしはね……生まれたときから政略結婚に出されることが決められていて、両親とはほとんど顔を合わせることもなかったの。ただ政治の道具として知識と教養を身につけさせられる毎日で」
どうやら初めて耳にした話だったらしく、アリアは瞠目する。
だが王家の姫であればさしてめずらしいことではない。昔から似たような話はあちらこちらにある。グレンシュタインの状況からしても、アンジェラの話したことはおそらく事実なのだろうと思えた。
「でも、幸せになることはあきらめなかった」
彼女はそうつづける。
「置かれた環境そのものを変えることはできなくても、その中で楽しいことを見つけたり、可能な範囲で幸せになるための努力は欠かさなかった。もちろんこれからも決してあきらめるつもりはないわ」
強い意志を秘めた、穏やかながらも凜とした声で言葉を紡いでいく。
「だから、勝手だけどあなたにもあきらめてほしくないの。幸せになるための努力をしてほしいの。ひとりで抱えてないで頼れるものは頼ればいい。せっかく身近なひとたちに恵まれているんだから。わたしも含めてね」
最後は胸元に手を当てて冗談めかすように言い、得意げな顔をする。
それを見ていたアリアの目がみるみるうちに潤んでいき、ぽろぽろと涙がこぼれた。そのことに彼女自身も驚いている様子だったが、こくりと頷くと、頬に伝った涙のあとを小さな手でたどたどしく拭う。
「今度は二人でお茶しましょう。うちにご招待するから早く良くなってちょうだい」
「はい」
そんな二人を眺めながら、アイザックはひそかにそっと安堵の息をついた。向かいのサイラスも同じように息をついている。そしてどちらからともなく顔を見合わせると、互いにふっと表情をゆるめた。
「わたし、あの事件のあとずっと思っていたんです」
帰路につくサイラスとアンジェラを玄関先で見送ったあと、アリアがおもむろにそう切り出した。並んで立っていたアイザックがゆるりと隣に目を向けると、冷えた空気の中、彼女は白い息を吐きながら言葉を継ぐ。
「わたしが厄災だという占いはやっぱり正しかったのかもしれない、わたしがいるから騒動が起こってしまう、誰かの人生を変えてしまう、こんなことなら生まれたときにちゃんと殺してくれたほうがよかった、って」
ドクリと鼓動が跳ねて、息を詰める。
正直、そこまで自責の念を抱えているとは思わなかったし、そこまで追い込まれているとは考えもしなかった。背筋が冷たくなるのを感じながら、いまさらではあるが強く後悔してグッと眉間に力をこめる。
「君は厄災ではないし、起こったことは何ひとつ君の責任ではない」
「はい……アイザック様をはじめ、わたしのことをわたしより信じてくださる方々がいるとわかって、だからわたしもわたしのことを信じようと心に決めました。これからは迷うことなく幸せになる努力をしていきたいです」
彼女は淡々と述べ、いまだにうっすらと泣きはらしたままの目で、かすかに睫毛を震わせながらゆっくりと振り向いて口元を上げる。そこからは、不安を抱えながらも前を向いていこうという意思が見て取れた。
君は——。
たまらなくなり、アイザックはそっと包み込むように彼女を抱き寄せた。一瞬、華奢な体がビクリとしたが、すぐに力が抜けて彼女のほうからも身を預けてくる。遠慮がちながらも信頼して甘えるかのように。
「二人で幸せになろう。それが厄災ではないという何よりの証明になるはずだ」
「……はい」
腕の中で彼女は噛みしめるように頷く。
その確かなぬくもりに、実感に、アイザックはそこはかとない安堵を覚えて目を閉じる。きっと自分たち二人なら幸せになれる。根拠はないが、なぜか何の疑いもなくそう信じることができた。