機械仕掛けのカンパネラ

第12話 銃口は誰に

 ——坂崎俊輔を殺したのは、俺だ。

 呆然とする七海の脳内で、そのセリフがこだまのように何度もリフレインする。言葉の意味はわかっているはずなのに何も考えられない。だんだんと息苦しくなり、胸元で白いTシャツを掻き寄せるように掴む。
「う……嘘だよね、パパ……」
「もうその呼び方はしなくていい」
 視界に拓海を映しながらどうにか絞り出した問いに、彼は答えない。ただ淡々と突き放すだけである。嫌な予感にじわじわと生ぬるい汗がにじんできた。いろいろと問い詰めたいが、まるで金縛りにでも遭ったかのように声が出ない。
「詳しく話を聞かせてもらおうか」
 七海の背後から苛立ちを含んだ声が聞こえてきた。振り向くと、武蔵が刺すような鋭いまなざしで拓海を睨めつけていた。それを受けて拓海も不快そうに眉を寄せて睨み返した。二人は七海を挟んだまま話し始める。
「おまえがそそのかしたせいで、俊輔はおまえの逃亡に手を貸して裏切り者になった。裏切り者の末路なんてろくなものじゃない。特に俺たちのような捨て駒はな」
「だから殺したっていうのか」
「俊輔は親友だ。他の誰かに痛めつけられて始末されるくらいなら、いっそこの手で葬ってやりたい。そう思うのはおかしなことじゃないだろう。俺だって本当は殺したくなんかなかった。そうせざるを得ない状況に追いやったのはおまえだ、アンソニー=ウィル=ラグランジェ」
「…………」
 拓海は怒りを押し殺したように言い放ち、武蔵はきまり悪そうに視線を落とす。
 ここに来る前に聞いた話と矛盾がないし、武蔵も言い返さないので、事実関係については間違いないのだろう。つまり、俊輔が殺される原因を作ったのは武蔵で、実際に手を下したのは拓海だと。
「七海を引き取ったのは敵討ちをさせるためだ」
「俺を殺させ、そしておまえも殺させるのか?」
 えっ——?
 驚いて拓海に振り向くと、彼は目を細めてうっすらと微笑を浮かべていた。七海はぞわりと総毛立ち、体の芯が冷たくなっていくように感じた。頭は考えることを拒否しているかのように真っ白だ。
「そのナイフは、おまえが俊輔を殺したときのものなんだな?」
「そうだ。鑑定すれば俊輔の血だとわかるはずだ。七海におまえを殺させたあとで真実を話し、俺を殺させる。もともとはそういう筋書きだったからな。信じてもらうための証拠として保存しておいた」
 拓海はそこまで淡々と話したあと、嘆息した。
「本当は、七海がもうすこし大きくなって実力をつけてから、おまえに辿り着けるように手がかりを与えるつもりだった。だが、おまえの似顔絵が大々的に報じられて予定が狂った」
 表情を変えないまま声に忌々しさをにじませて言うと、七海に視線を移し、懐から取り出した黒い何かを投げてよこした。カラカラカラとコンクリートを滑り、七海の足に当たって止まる。それは拳銃だった。
「敵を討て、七海」
 静かに脳内に染み渡る、麻薬のような声。
 足元にあるのは、血で汚れたイルカのぬいぐるみ、血で錆びたナイフ、大量の返り血を浴びた服、そして拳銃——頭の中にラ・カンパネラのオルゴールが鳴り響き始めた。吐き気がするくらいの大音量で。七海は片手で側頭部を押さえながら奥歯を食いしばる。
 殺さなきゃ。
 殺さなきゃ。
 殺さなきゃ。
 お父さんの敵を。
 それは、誰?
 誰を殺すの?
 視界がぐにゃりと歪んで焦点が合わなくなる。脳内ではいまだ打ちつけるようにオルゴールの音色が響き、頭がぐわんぐわん揺れているように感じた。それでも答えを探そうと必死に踏ん張って思考をめぐらせる。
「この距離なら七海の腕でも十分にあてられる。あいつと俺を殺せ。俊輔の亡骸の前で俺たちは約束したはずだ。お父さんを殺した男を七海の手で殺すんだと」
 七海に復讐の道を示し導いてきたのは拓海だった。父親が死んだあの日からずっと。彼の示した道を正しいと信じきっていた。疑いもせずただひたむきに邁進してきた。けれど——。
「七海!!」
「動くな!」
 武蔵が声を上げた瞬間、拓海はもうひとつの拳銃を懐から抜いて彼に向ける。予想していたのか無駄のない流れるような動きだった。駆け出そうとしていた武蔵の足がビクリと止まり、前傾姿勢で拓海を睨む。
「動けば撃つ。できれば七海に撃たせてやりたいからじっとしていろ」
 拓海は銃口を向けたままそう命令すると、七海に視線を移す。
「七海、思い出せ。俊輔が血溜まりに横たわり、物言わぬ骸になっていたあの日のことを。おまえの感じた絶望と恐怖と怒りと悲しみを」
 七海の目からぽろりと涙がこぼれた。
 虚ろなまま操り人形のように地面に転がる拳銃を拾うと、銃口を下にしながら震える両手でグリップを握り、引き金に指をかけ、ゆらりと体を揺らして背後の武蔵に向きなおる。
 七海を捉えていた緊張したまなざしの中に、寂しそうな色、つらそうな色がにじんでいる。彼を狙わなければならないのに銃口が上がらない。上げられない。まるで拒否するかのように手が動かない。
 父親の敵だと自分に言い聞かせても騙せないだろう。本当はもうわかっている。きっと彼には父親を死なせる意思などなかった。殺さなければならないのは父親を殺した男だ。だから——。
 バッ、と身を翻して拓海に銃口を向ける。
 一瞬、拓海は驚いたように目を丸くしたが、すぐさまいつもの冷静な表情に戻った。片手で拳銃を構えたまま、武蔵への警戒を解くことなく七海に視線を送り、空いた方の手で自身の眉間あたりを指さして言う。
「頭を狙え。そう教えただろう」
 そう、射撃場ではいつも頭を狙えと言われて練習してきた。けれど生身の人間を撃ったことは一度もないし、銃口を向けるのも初めてだ。それも恩人として慕っていた相手になんて。
 狙いを定めようとするものの手の震えが止まらない。手だけでなく膝も足もどこもかしこも震えている。それでも撃たなければ終われない。いまだラ・カンパネラのオルゴールは大音量で鳴り響いている。
「やめろ七海、撃つな!」
 背後から聞こえてくる武蔵の切羽詰まった必死な声。それを振り切ろうと、七海はあふれんばかりに潤んだ目をギュッとつむり、ついと一筋の涙が流れ落ちていくのを感じながら、拳銃を持つ手にグッと力をこめる。
「うわあああああああッ!!!」
 ババン——二つの銃声が重なり、七海は反動でコンクリートに尻もちをつく。
 正面の拓海は拳銃を構えたまま身じろぎもせず立っていた。七海の銃弾は外れたらしくかすり傷ひとつ見当たらない。目をつむりながらなど当たるはずがないのだ。けれど、当たらなかったことに心底ほっとしていた。
「うっ……」
 背後からかすかな呻き声が聞こえた。
 振り返ると、武蔵が胸元を押さえながらうつぶせに倒れ込んでいた。拓海の銃弾が命中したのだろう。コンクリートにじわじわと血溜まりが広がっていくのが見えて、反比例するように七海の顔からは血の気が失せていく。
 カツ、という靴音にビクリとして前を向くと、拓海が無表情で歩みを進めてくるのが見えた。背筋に冷たいものが走る。逃げたい衝動に駆られたが、手足が震えて立ち上がることすらできそうにない。
「七海、外れたぞ」
 拓海は自分の拳銃を懐にしまいながらそう言うと、七海の前でしゃがんだ。そして七海の手を拳銃ごと掴み、その銃口を自らの眉間に誘導してピタリと押し当てさせる。
「これなら外しようがないだろう」
「嫌だ……やっぱりできない……」
 七海は弱々しく声を震わせて訴えるが、拓海は聞く耳を持たない。生ぬるい涙があふれて頬を濡らしていく。
「引き金を引け、七海」
 必死に首を横に振る。拳銃から手を放したいが、彼にがっちりと握り込まれているためどうにもならない。引き金にかけた指を外すこともできない。下手に抵抗するとうっかり発砲してしまいそうだ。
「引き金を引けば終わるんだ」
「やだ……こんなのやだ……」
 か細い涙声でうわごとのようにつぶやいても、やはり拓海は許してくれなかった。射るようなまなざしで七海を見据えて尋ねかける。
「俺たちは何のために生きてきた?」
 七海はあふれる涙を止めることもできず、半開きの口を震わせた。父親の敵を取るため、殺すため、それがすべてだったことは理解している。けれどこんな結末を望んでいたわけではない。
「俺を殺さなければ終わらない」
 彼は静かにそう言うと、七海と拳銃を握り込む手にグッと力をこめる。銃口は話のあいだもずっと眉間に押しつけられていた。いや、銃口に眉間を押しつけていたのかもしれない。
「殺せ……殺してくれ!!」
 縋るような悲痛な叫びが七海の鼓膜を震わせる。彼の瞳は見たこともないほど潤んでいた。いつも冷静な彼がこんなにも感情的になるなんて。何もかもが怖くて、ギュッと目をつむり必死に首を横に振り続ける。
 ガンッ——。
 鈍い音がしたかと思うと、七海の手を握り込んでいた大きな手から力が抜け、脚の上にどさりと体ごと倒れ込んできた。驚いて目を開くと、彼は後頭部を押さえながら顔をしかめて呻いていた。
 その背後では、左肩あたりから大量の血を流した武蔵が、血まみれのこぶしを握りしめて立っていた。出血のためか痛みのためか息が荒くて苦しげだ。それでも拓海の後ろ襟を掴むと、七海から引きはがして叩きつけるように地面に転がした。
「七海、大丈夫か」
「うっ……」
 顔がゆがみ、熱い涙が止めどなくあふれて流れ落ちていく。武蔵は小さく微笑み、あまり血がついていない方の手をぽんと七海の頭に置いた。そしてまだ震えがおさまらない七海の手から慎重に拳銃を取ると、倒れた拓海の足元に放り投げる。
「おまえなんか七海が手を汚す価値もない。死にたければ勝手に死ね」
 嫌悪感あらわに言い捨てると、泣きじゃくってしがみついた七海を抱き上げ、イルカのぬいぐるみを掴み、時折ふらつきながら墓地をあとにする。あたりはもうだいぶ薄暗い。空には重々しい鉛色の雲が垂れ込めていて、いまにも雨が降り出しそうだ。
 ゴーン、ゴーン……。
 教会だろうか。遠くで鳴り始めた重厚な鐘の音を、七海は武蔵の首にしがみついて泣きながら、ただぼんやりと聞いていた。頭の中に、ラ・カンパネラのオルゴールはもう響いていなかった。