機械仕掛けのカンパネラ

ひとつ屋根の下 - 第23話 断ち切れない想い

「もう脈はないんじゃないか?」
 そう言われて、遥は思わず隣の富田を睨みつけた。
 暖色の間接照明が灯る中、彼はきまり悪そうにスパークリングワインを口に運ぶ。この二年のあいだに九回告白してすべて断られたと聞けば、そう思うのも仕方がないかもしれない。けれど。
「誘えば一緒に遊びに行ってくれるし普通に仲はいいよ。いまは高三で受験生だから部屋で勉強を見ることが多いけど。付き合ってたときとあんまり変わらない感じかな。身体に触れないだけで」
「だからそこが問題なんだろ。その、あー……言いにくいんだけどな……遥のことは人として嫌いじゃないけど、そういうことはしたくない。つまり恋愛対象じゃないってことにならないか?」
「あのさ、僕ら二年半も付き合ってたんだけど」
 遥はあきれた視線を流して言う。
 付き合っているときにはさんざんそういうこともしてきたが、七海が嫌がったことは一度もない。もしそうならもっと早く別れを切り出されていたはずだ。恋愛対象でないという見解には無理がある。
「でもあのころの七海ちゃんはまだ子供だったし、流されるまま何となく付き合ってただけで、離れて気付いたこともあるかもしれないだろう。やっぱり遥のことは保護者としか思えないとか」
 痛いところをつかれた。
 遥に流されるような形で付き合い始めたのは事実だし、中学生だから未熟だったと言われると反論のしようがないが、それでもきちんと恋人として好きになってくれたと信じている。
 遥はすこしだけ残っていたスパークリングワインを飲み干すと、二人掛けソファにゆったりと身を預けた。正面の窓ガラス越しにきらめく夜景をぼんやりと眺めながら、口を開く。
「単に武蔵に未練があるだけだよ」
「七海ちゃんがそう言ったのか?」
「そのくらい見てればわかるから」
 最初はまだ武蔵のことが好きだからと言っていたが、そのうち理由を訊いても教えてくれなくなった。だが未練があるのは間違いない。彼の話題を出すだけで狼狽した様子を見せるのだ。
 しかし、彼にその気がないならいつかはあきらめなければならない。いつになるかはわからないが、そのときそばにいればきっと自分を選んでくれると信じている。脈がないとは考えたくない。
「どうだろうな。おまえ案外ニブいし」
「は?」
 地を這うような声で聞き返しながら振り向く。富田はあからさまにしまったという顔になり、逃げるように目をそらすが、このまま聞かなかったことにはできない。
「どういうこと? そんなのいままで誰にも言われたことないんだけど。むしろ他人の気持ちには敏感なほうだと思ってるけど。僕のどういうところが鈍いっていうわけ?」
「あ、いや……何となく……」
 ぐいっと詰め寄ると、富田は身体をのけぞらせてしどろもどろで答えた。声からも表情からもうろたえていることが窺える。それだけでなく、間接照明でもわかるくらい頬が赤くなっていた。
 おそらくまだ澪のことが好きなのだ。ずいぶん前からそういう素振りは見せなくなっていたが、双子の遥が顔を近づけたときだけは別である。もう瓜二つとはいえないものの面影はあるのだろう。
 自分だって脈はないのに——。
 わずかに目を細めると、元のところに座りなおして小さく吐息を落とした。スパークリングワインに手を伸ばしかけたが、さきほど飲み干してしまったことに気付き、隣のナッツをつまむ。
「もし本当に富田の言うとおりだとしてもさ、僕はまだあきらめられない。可能性はゼロじゃないんだ。状況の許すかぎり希望は捨てないつもり。ごめん、心配してくれてるのはわかってるんだけど」
「……ああ」
 うつむく富田の顔はまだほんのりと紅潮していた。無意識なのか、落ち着かない様子で左手薬指のプラチナリングに触れている。遥もつられて自分のプラチナリングに目を落とした。
「富田はさ、将来的に結婚する気はあるの?」
「え……そんなこと考えるのはまだ早いだろ」
「僕はちらほら話が出てるよ」
 すでに方々から見合いの打診があると聞いている。
 いまは遥の気持ちを知っている祖父が断っているが、七海と結婚する目処が立たないようであれば、他の女性と見合い結婚ということになるだろう。現時点ではまだはっきりと期限を区切られていないが——。
「数年のうちに誰かと結婚することになると思う」
「そうか……」
 遥には、その誰かが七海になるよう手を尽くすことしかできない。
 隣では富田が思いつめたような顔をしてうつむいていた。結婚について真剣に考えたことがなかったのだろう。しかしすぐに気を取り直したように表情を明るくすると、左手薬指のペアリングを掲げて冗談めかす。
「じゃあ、それまでは俺がおまえの恋人だな」
「心強いよ」
 遥は軽く笑いながら応じた。
 思えばずいぶんと長いあいだ富田を縛り付けてしまった。彼を解放するためにも早く結婚すべきなのかもしれない。それまでにせめて何か——スパークリングワインを飲んでいる彼を見つめて、わずかに目を細める。
「お礼になんでもひとつ言うことを聞こうか?」
「……おまえな、そういうこと軽率に言うなよ」
「どうして?」
 そう聞き返すと、富田はグラスを置いてあきれたように溜息をついた。
「自分がめちゃくちゃモテるって自覚あるのか?」
「あるから富田とペアリングしてるんだけど」
「キスしてとか言われる可能性だってあるんだぞ」
「そのくらいなら全然構わないよ」
「は?」
 きょとんとした富田に考える隙も与えないまま、遥は唇を重ねた。しばらくほのかなぬくもりとやわらかさを感じたあと、ゆっくりと顔を離し、彼を見つめてうっすらと唇に笑みをのせる。
 富田はぶわっと火を噴きそうなほど真っ赤になった。
「な……んで……」
「だからお礼だよ」
「お礼……え……」
「足りなかった?」
「そうじゃない!」
 あわてて言い返し、顔を赤らめたまま混乱ぎみに眉を寄せる。
「ちょっと待て、おまえ何か思いっきり誤解してるぞ。どこぞの女に迫られたら困るだろうって話で、俺にしてほしいって言ったわけじゃない。いくらなんでもおまえにそんなこと頼むかよ」
 どうやら行き違いがあったらしい。
 富田はときどき澪と遥を重ねて見ている節があるので、澪では叶えられないことを遥に求めたのかと思ったが、確かにそんなことはひとことも言っていなかった気がする。しかし——。
「そんなに嫌だった?」
「そういうわけじゃ……」
「ならよかった」
 遥はすこしだけ残っていた富田のスパークリングワインを飲み干し、グラスを持ったままにっこりと笑う。
 富田はうぐっと言葉を詰まらせてテーブルに突っ伏した。タチ悪りぃ、酔っ払いが、などひとりぼそぼそと文句を言っている。顔が隠れているので表情はわからないものの、その耳はゆでだこのように赤かった。