機械仕掛けのカンパネラ

ひとつ屋根の下 - 第28話 強硬手段

『申し訳ありません、七海さんが車で連れ去られました』

 それは七月二日、七海の誕生日前日のことだった。
 本社での打ち合わせ中、遥のスマートフォンに七海の護衛から着信があった。この時間にメールでなく電話をよこすということは、おそらく緊急事態である。打ち合わせ相手である会長秘書に断ってから電話に出ると、開口一番、張りつめた声音で冒頭のように告げられたのだ。
 彼から聞いたところによると、自宅からさほど離れていない閑静な住宅街の路地で、一瞬にして黒いバンに引きずり込まれたらしい。
 護衛の二人はすぐに飛び出したが間に合わなかった。一人はどうにかリアウィングに飛びついたものの、角を曲がるときに振り落とされて重傷を負い、さきほど救急車を呼んだところだという。まだ楽観はできないが、意識がしっかりしているとのことで命の危険はなさそうだ。

「すぐ本家に向かってください。執事の櫻井に話を通しておくので、協力して七海のGPSを追ってもらえますか」
『了解しました』
 徒歩でも十分とかからない場所だ。走ればもっと早く着くだろう。
 すぐさま櫻井に電話し、この事態を端的に伝えておおまかに指示を出していく。彼はほとんど動揺を見せることなく的確に受け答えした。あの剛三に長年仕えてきた度胸と手腕は伊達ではない。
 通話を切ると、そのスマートフォンで七海のGPSの位置を表示する。もし途中で荷物が捨てられていたらと心配したが、いまのところは大丈夫なようだ。ちょうど車が走るくらいの速度でGPSが移動している。
「師匠……いえ、楠さん」
 スマートフォンを握りしめたまま会長秘書に振り向き、思いつめた声で呼びかける。かつて保護者代理として遥の面倒を見ていた彼は、それだけで言わんとすることを察したらしく、真剣な顔で頷いた。
「事情はだいたいわかった。行って」
「ありがとうございます」
 遥は早口で礼を述べると、そのままスマートフォンだけを手にして応接室を飛び出した。

「ん……う……」
 七海が目を覚ましたのは、朽ちかけた廃工場のような場所だった。
 高窓を見るかぎりまだ日は落ちていないようだ。襲撃された時点ですでに夕方に差しかかっていたはずなので、気を失っていた時間はそれほど長くない。せいぜい一時間といったところだろう。
 視線をめぐらせ、古びたパイプベッドに寝かされていることを理解する。敷かれているシーツは薄汚い周囲と比べて不釣り合いに白い。右手には手錠が掛けられ、錆びの目立つ太いパイプ部分に繋がれていた。
 体を起こそうと身をよじると背中にうっすらと鈍痛を感じた。おそらく拉致されるときにスタンガンを使われたのだろう。背中に固いものを押し当てられた直後に気を失ったのだ。護身術など使う間もなかった。
「お目覚めかな、お嬢ちゃん」
 ニヤニヤと下卑た声が聞こえて振り向く。
 隅で煙草を吸っていた男が、もう一人の男を従えて七海のほうへ悠然と歩き出した。途中で火のついた煙草をコンクリートの地面に捨て、ブーツで踏み消す。二人とも目出し帽をかぶっているので顔はよくわからない。
 後ろの男がハンディカメラを構えた。前の男はそれを意識しつつホルスターから拳銃を抜くと、引き金に指をかけ、その銃口をバッと勢いよく七海の鼻先に突きつける。表情が一瞬にして凍りついた。
「悪く思うなよ。お嬢ちゃんには何の恨みもないが、百年の恋も冷めるくらいえげつなく犯して、その動画を撮ってこいって頼まれてんだ。おっと、撃たれたくなかったらおとなしくしてろよ。殺さなければ何をしてもいいって言われてるからな」
 男は拳銃を突きつけたまま軽い口調でそう言うと、口もとを上げる。目出し帽の口まわりが開いている理由は十分に察せられた。七海は冷や汗をにじませながらも強気に反論する。
「バカじゃない? 僕がそんな目に遭わされたなんて遥が知ったら、責任を感じてかえって僕から離れられなくなる。逆効果じゃん」
 しかし男は鼻で笑った。小馬鹿にしたように銃口で七海の鼻先をつつく。
「あのな、俺らは金で雇われてるだけなんだよ。孫請けだから大本の依頼主が誰かも知らないし、目的も聞かされていない。お嬢ちゃんがどこの誰かも知らない。だが一度受けた依頼は確実にやり遂げる。この世界も信用第一でね」
 そう嘯く声にはからかいの色が混じっていた。
「まあ、大金もらって女を犯せるなんて、こんなおいしい仕事はそうねぇよなぁ。これも信用があればこそだ」
 七海はギリと歯を食いしばる。
「いいね。負けん気の強い女を力尽くで犯して、泣かせて、よがらせて、絶望させるのがたまらねぇんだ。まさに俺にうってつけの仕事ってわけだ。正気を失うくらいの快楽に落としてやるよ」
 男は愉悦に酔ったような声でそう言うと、後ろの男に拳銃を手渡した。
「しっかり脅しとけよ」
「おうよ」
 彼は楽しげに返事をして、ハンディカメラを構えたまま反対の手で拳銃を握り、引き金に指をかけてまっすぐ七海に銃口を向けた。さきほどより距離があるものの脅すには十分だろう。
 両手の空いた男は、堅牢な折りたたみナイフをポケットから取り出した。それをじっくりと見せつけるような手つきで開くと、高窓からの光を反射してぎらりと輝く刃を、七海の喉元に突きつける。
「死にたくなきゃ動くなよ」
 そう告げると、素早くパイプベッドに上がって七海に跨がった。右手のナイフでシャツの合わせ目を力任せに開き、その下に着けていた機能性重視のスポーツブラも、舌打ちをして切り裂いていく。押さえつけられていた白い胸が解放されてふるりと揺れた。
「こりゃあ結構な上玉じゃねぇか。思った以上に楽しめそうだな」
「…………」
 七海は何も言わず、ただ真一文字に口をむすんで男を睨みつけていた。
 だが、男にはそんな視線さえも興奮のスパイスにしかならない。舌なめずりしながらショートパンツとショーツを切り裂いていく。ハンディカメラを構えた男は興奮ぎみにちょろちょろと動きまわり、あますところなくおさめていった。
「いつまで耐えられるか楽しみだ」
「んっ」
 いきなり胸の先端を口に含まれ、七海は唇を引きむすんだまま声を漏らした。
 男は気をよくして巧みに舌を使いながら、もう片方の白いふくらみを揉みしだき、その先を指で嬲る。胸だけでなくあらゆるところに吸い付き、舐めまわしていく。唇や口内も例外ではなかった。
「う……はっ、あ……あ……んっ」
 白い肌がうっすらと上気してくると、七海は耐えきれずに声を漏らし始める。
 男は勝ち誇ったようにいやらしい笑みを浮かべながら、さらに容赦なく攻め立てた。濡れた音が激しさを増していく。七海は身悶えし、手錠がパイプにぶつかりガチャガチャと音を立てた。
「ひ……ぁ……!」
 かぼそい悲鳴とともに七海の身体はビクリと跳ねて弛緩した。涙の膜が張った目を虚空に向けたまま苦しげに息をする。男は満足げに舌なめずりしながら上体を起こし、彼女の膝裏から手を放した。
 いつのまにかハンディカメラの男は片膝をベッドにつき、あからさまに興奮して身を乗り出していた。もう拳銃のことなど忘れているのだろう。構えもせずただ持っているだけで銃口は下を向いている。
「へばるなよ、本番はこれからだ」
 からかいまじりにそう言ったのは七海を嬲っていた男だ。七海の脚のあいだを陣取ったまま、ずっと手放さなかったナイフを横に置き、自らのズボンに手を掛けて下ろそうとする。そのとき——。
 ガツッ。
 七海は腰を浮かして男の横っ面に膝蹴りをかました。間髪を入れず、倒れかけた男の首筋を反対側の脚で蹴り抜いてベッドから落とす。即座にナイフを拾い、唖然としていたハンディカメラの男の腿に突き立てた。
「ギャーッ!!!」
 すぐにナイフを抜いてシーツの上に投げ置き、悶絶する彼の右手に飛びついて拳銃をもぎ取った。安全装置を外し、右手首にかけられた手錠の鎖をピンと伸ばすと、そこに銃口をくっつけるようにして撃つ。反動で姿勢を崩してベッドに倒れ込んだものの、無事に鎖は切れていた。
「よくも……このアマ……」
 ベッドから蹴り落とされた男がゆらりと立ち上がる。鼻血を手の甲で拭いながら憤怒にまみれた表情を見せるが、脳震盪を起こしたのか、なかなかまっすぐ立てずにふらふらとしていた。
 七海はパイプベッドから軽やかに飛び降りると、男に向かってしっかりと両手で拳銃を構え——引き金を引いた。

 パン……パン……。
 時折、子供の声が聞こえる夕暮れどきの静かな住宅街に、異質な音が響いた。決して大きな音ではなかったが、遥は胸騒ぎがして音のほうに振り向く。隣の護衛も同じほうを見ていた。

 遥は本社を飛び出したあと、櫻井たちとともに七海のスマートフォンのGPSを追ってここまで来た。郊外のコインパーキングに駐められた黒いバンを発見したものの、そこには七海のリュックが放置されていただけで、本人の姿はなかった。
 サングラスの男が七海を横抱きにして車から降りたのは、コインパーキングの防犯カメラ映像で確認したが、その後どこに向かったかまではわからなかった。遥と護衛三人は二手に分かれて周辺の聞き込みに奔走した。
 遥たちが異質な音を聞いたのはそのときだ。
 視線の先には町工場のようなプレハブの建物があった。そこに七海がいるとは限らないが、すこしでも可能性があるなら確認すべきである。二人はどちらともなく目を見合わせて頷き、駆け出した。
 そこは廃工場のようだった。社名の看板はひどく汚れ、建物は錆びて朽ちかけ、ガラスはあちこち割れ、長らく放置されていることが窺える。正面の大きなシャッターは閉まっていたが、その脇の扉は半開きになっていた。
「私が様子を見てきます。遥さんはここで待機をお願いします。三分以内に戻らなければ応援を呼んでください」
「わかった」
 二人は塀に身を隠したまま声をひそめた。
 さきほど聞こえた音が銃の発砲音ならかなり危険である。日本では護衛であっても民間人に銃の携帯は許可されていない。つまり、ほぼ丸腰で銃を持つ無法者と対峙することになるのだ。
 唯一、携帯を許可されているのは特殊警戒棒だが、銃に対抗するにはあまりに無力である。それでも彼は怯まず、手にしていた特殊警戒棒を素早く振って伸ばし、身構えながら半開きの扉にそろりと近づいていく。
「止まれ!!」
 突如、その扉がバンとはじかれて鋭い声が飛んだ。
 七海だった。切り裂かれたシャツのみを身に着けた裸同然の格好で、正面の護衛を鋭く見据えながら両手で拳銃を構えている。右手首には鎖の切れた手錠らしきものが嵌められていた。
「七海!!」
 目にした瞬間、遥は我を忘れて飛び出していた。
 彼女はハッと息をのみ、そして全身から力が抜けたかのようにへたり込んだ。その体を遥はがむしゃらに抱きしめる。やわらかく、あたたかく、まぎれもなくここに存在しているのだと実感できた。
「ごめん、遅くなって」
「うん……」
 彼女はほっとしたようにそう応じたものの、体は震えていた。
 その身に起こったことを想像するだけで頭に血がのぼり、気持ちがぐちゃぐちゃになるが、彼女を支えるためにも自分は冷静でいなければならない。奥歯を食いしばり必死に激情を抑え込む。
 まずは抱きしめたまま震える手から慎重に拳銃を取り上げる。その拳銃も手足も赤黒い血でべっとりと濡れていたが、彼女自身に傷はないようだ。よく見ると顔には無数の飛沫血痕が散っていた。
 遥はそっと護衛を見上げて目配せする。
 おそらくは彼も同じことを考えていたのだろう。緊張した面持ちで頷くと、伸ばした特殊警戒棒をしっかりと隙なく握りなおし、あたりを警戒しつつ廃工場の中へ足を進めていった。
 たとえ何があったとしても、絶対に守ってみせる——。
 遥は一通り周囲に視線をめぐらせてからスーツの上着を脱ぎ、彼女の露わになった肌を隠すように前から掛けると、スマートフォンを取り出して執事の櫻井に電話をかけた。