遠くの光に踵を上げて

第20話 血塗られた家系

 サイファに誘われるまま、ふたりは暗い路地裏をついていった。何度か曲がって行き、道はだんだん細く暗くなっていった。漠然とした不安が沸き上がる。リックは落ち着きなく左右をきょろきょろ見回している。一方のジークは、視線だけを動かし、あたりの様子をこっそりとうかがっている。
「この下だよ」
 サイファはにこやかな顔で振り返り、親指で斜め下を指した。そこには、地階へ続く薄暗い階段があるだけで、看板などは何も出ていなかった。
 ジークとリックは、お互いに何か言いたげな顔を見合わせた。
 そんなふたりの様子を楽しむかのように、サイファは笑顔のまま、何も言わずに降りていった。ふたりも、置いていかれないように、慌ててついていった。
 短い階段を降りきると、そこにはごく小さな空間があった。使い古された木製の扉だけがあった。
 サイファはその扉を開け、中に入っていった。そのすぐ後ろから、ふたりも足を踏み入れた。
 テーブルが三つほどとカウンター数席。客も数人ばかり入っている。何も心配する必要のない、ごくありきたりな酒場だった。ありきたりでないのは狭さだけである、
 ジークたちは、ようやく少し緊張が緩んだ。

「あら、お久しね。サイファ」
「ごぶさたしています」
 サイファは声を掛けてきた女性のいるカウンターへと近づいた。
 その女性は、歳は40ほどだろうか。若くはないが、長い艶やかな髪をたたえた美しい人だ。話ぶりからいって、おそらくここの女主人だろう。
 彼女はサイファに背を向け、グラス片づけながら尋ねた。
「どう? ウチの娘は元気でやってる?」
「ええ、それはもう。毎日怒ったり笑ったり、相変わらずですよ」
 サイファは茶化すように、抑揚をつけて返事をした。
「そう。サイファがそういうんなら心配ないわね。……ところで」
 そこまで言うと、彼女は急にくるりと振り返った。そして、右手でほおづえをつき、まっすぐふたりを見据え、ニッと笑った。
「後ろのふたりは新人クン?」
「いえ、アカデミーの生徒です。娘の友人ですよ」
「へえ、アンジェリカの。良かったじゃない」
 サイファはふたりの後ろにまわり込んだ。そして、右手でジーク、左手でリックの肩を抱き、にこやかに紹介を始めた。
「こちらはジーク君とリック君。そしてこちらは王妃様の母君のフェイさん」
「……え?」
 ふたりは同時にサイファに振り向いた。
「あははははは」
 その様子がおかしかったのか、女主人が豪快な笑い声をあげた。
「驚くのも無理ないわ。とうてい王族に関わりあるようには見えないわよねぇ。でも娘は娘、私は私。娘はどうであれ、私はただの酒場の女だから」
「そういえば、王妃様は酒場の娘だとかいう噂、聞いたことなかった?」
 リックははっとして、ジークに問いかけた。だが、ジークが答えるより早く、女主人のフェイが割って入った。
「噂じゃないわ、本当のことよ。でも勝手ね。王宮の連中も世間も。半ば強引に連れ去っておきながら、酒場の娘だの、父親がいないだの、財産目当てだのごちゃごちゃと。やりきれないわよ」
 吐き捨てるように、一気に不満をぶちまける。
「すみません」
 サイファは穏やかな笑顔のまま、頭をわずかに下げた。
「別にあなたが悪いわけじゃないでしょ」
 フェイはわずかにため息をつき、素っ気なく言った。
「そこら辺の空いてる席に座ってちょうだい」
「個室をお願いしたいんですけど、空いてますか?」
 それを聞いて、フェイの動きが一瞬止まった。そして、すぐに表情を緩めると、軽く息を吐いた。
「空いてるわよ。好きに使って」
 サイファは一礼すると、ふたりを引き連れ、カウンターの奥へ入り込んでいった。

「なんか……店というより普通のおウチみたいですね」
 手あかの付いた木製のタンス、小さめの机、古びたソファ。リックの言うとおり、そこは酒場という雰囲気とは少し遠い感じだった。
 サイファはふたりの背中を軽く押し、ソファの方へ導く。
「ここはお店ではないんだよ。フェイさんの家の応接間兼リビングルームなんだ」
「え? それって……」
 開いた入口からフェイが顔だけ覗かせた。リックの言葉をさえぎると、自分の大きな声を部屋に響かせる。
「サイファが個室個室ってうるさいから、仕方なく貸してあげてんの。これだからおぼっちゃんは困るわ」
 半ば諦めたような投げやりな口調だが、どこかあたたかみを感じた。
「すみません」
 サイファはにこやかに謝った。そして、満面の笑みを彼女に向けた。
「……っとに、いっつもその笑顔にごまかされるわね」
 フェイは、気だるく無造作に髪をかきあげた。
「で、サイファはいつものでいいわね。おふたりさんは?」
「僕はカルアミルクお願いします」
 リックは即答した。
「俺は、スクリュードライバーで」
 ジークは少し考えながら答えた。
「オーケー。ちょっと待っててね」
 ウィンクをひとつ残して、フェイはその扉口から姿を消した。
「この店は昔から王宮で働く者たちの隠れ家的な場所なんだよ」
 サイファはソファに身を預けて、くつろいだ様子を見せた。
「看板とか何もなかったので、ちょっとびっくりしました」
 リックはようやく安堵して笑顔を見せた。ジークも無言でほっとした表情を浮かべる。
「フェイさんも、娘の王妃様も、口は悪いけどいい人たちだよ。今度、王妃様にも会ってみるか? 紹介するよ」
「えっ?!」
 ジークとリックが同時に驚きの声をあげた。
「おまちどう」
 そこへ、トレイにグラスを3つのせ、フェイが勢いよく入ってきた。
「ごゆっくり」
 机の上にグラスを乱暴に置くと、大きな足どりで戻っていった。扉口でふいに立ち止まり、ゆっくり振り返ると、今までとは違った張りつめた表情でサイファを見つめた。
「ここ、閉めとくから。用があったら呼んで」
「ありがとうございます」
 フェイとは対照的に、サイファは微笑みを崩さずに答えた。
 バタン、と軽めの音を立てて扉が閉じられた。
「フェイさんは察してくれているんだ。私が個室を要求するときは、重大な話をするときだとね」
 サイファはそう説明をした。彼の口元は笑っていたが、その目はふたりを突き刺すほどの鋭さを持っていた。

 グラスの氷がカランと音を立てて崩れた。
「アンジェリカが泣いたときのことを憶えているか?」
 サイファの問いかけに、ふたりは黙って頷いた。
「あの子は泣かない子なんだ」
「泣かない子?」
 リックがおうむ返しに尋ねた。
「親族にいろいろ言われてきたということは、さっきアンジェリカが言ったとおりだが、そんな目にあっても彼女は涙ひとつ見せない。ただ感情を押し殺したような顔でじっと耐えている」
「強いんですね」
 リックがあいづちを打った。
 しかしサイファは、うなだれて首を横に振った。
「そうじゃないんだ。嵐が去ったあと、アンジェリカは意識を失うように眠りについて、そのままなかなか目を覚まさない。ひどいときは3日も眠ったままだった」
 ジークが息を飲む。胸の鼓動がだんだん大きくなっていくのを感じた。
「ラウルによれば自衛本能だそうだ。自分の許容以上のことがなだれ込んできたために、自衛のため脳が活動を停止する……自分が壊れる前にな。ここで無理に起こしてしまうと、彼女を壊してしまうかもしれない。だから待つしかないんだ。とてもつらいよ。もう永遠にこのまま目覚めないかもしれないと、心臓を掻きむしられる気持ちで、ただ待つことしか出来ない」
 サイファは眉間にしわを寄せた。
 ジークはサイファの心情、アンジェリカの心情を思い、息が止まりそうになった。
 リックもうつむき、苦しそうに眉根を寄せた。そして唐突にはっとすると顔を上げた。
「もしかして、こないだラウルのところで寝てたっていうのも……」
「そうだ。それもな。何かを察したようで、ラウルがアンジェリカを呼んで、看ていてくれたそうだ」
 ジークの頭にもやがかかったように感じた。ラウルの新たな面を知るたび、彼のことがだんだんわからなくなっていく。
「そんなアンジェリカが泣いたんだよ。君のことでね」
 サイファはゆっくり顔を上げ、まっすぐジークを見つめた。
 ジークの心臓が飛び出しそうな勢いで打った。
「それを見て、私は決めたんだ。君たちに託そうと」
 そう言うと、少しうつむき、自嘲気味に笑った。
「もちろんそれは私たち親のエゴイズムだということは、十分承知している。君たちがそれを受け止める義務はない。もし背負いきれなくて、逃げ出しても、見捨てても、君たちを責めるつもりはない」
 ジークはサイファの言っていることが理解できず、ただ頭が混乱するばかりだった。わずかに震えながら、ゆっくりと口を開いた。
「どういうこと、なんですか?」
 それだけの言葉を、喉の奥から絞り出した。
「すべてを知ったうえで、アンジェリカと仲良くしてほしい。もっと言えば、あの子のことを救ってほしい……。私たちの勝手な望みだよ」
 ジークは何かを言おうと、言葉を探したが、見つからなかった。
 リックもただ呆然としているだけだった。
「とりあえず飲もうか」
 重くなったその場の雰囲気を払拭しようと、サイファは努めて明るく言った。そして、まだ一口も手のつけられていないグラスを持ち上げた。グラスの外側についていた水滴が滴り落ちた。
「君たちも」
 にっこりと笑って左手を差し出し、ふたりにもグラスを取ることを促した。ふたりは言われるがままに、グラスを手に取った。
「乾杯」
 サイファは静かに言い、グラスを合わせた。そして、バーボンを少し流し込むと、再び口を開いた。
「これから話すことは、アンジェリカ個人のことではなく、ラグランジェ家全体に関わることだ。これはラグランジェ家以外の人に漏らすことは絶対に禁じられている。ラグランジェ家の中でも知っている人間はそう多くないんだ。だから、必ず他言無用でお願いするよ。親兄弟にも」
 ジークもリックもグラスを持ったまま、動きが止まっていた。これから話される内容が何なのか想像もつかない。緊迫した空気が、ふたりを息苦しくさせる。
「もし、私が君たちに話したことが知れたら……。私も君たちも、命を狙われることになるかもしれない」
 サイファはまっすぐジークを見据えた。その瞳の真剣さが、彼の言っていることが決して大げさではないということを物語っていた。
 ジークはサイファから目をそらすことなく、まっすぐ見つめ返した。
「わかりました」
 感情を抑えた低い声で、そう返事をした。
 リックは歯をくいしばり、無言でうなずいた。

 サイファは再びバーボンを口にした。そしてグラスをそっと机に戻すと、深く息を吐き、話の続きを始めた。
「長老会、というものがラグランジェ家にはあってね。最重要事項はここで決定されるんだ。構成員は五人だが、誰であるかは明かされていない。家族にも秘密らしいので、本当に構成員どうししか知らないことになるな。まあ私には何人かの察しはついているが……」
 そこまで言うと、少し目を伏せて考え込んだ。だが、すぐに顔を上げると、じっとふたりを見つめた。その目には強い光が宿っていた。
「その長老会に殺されかけたことがあるんだよ、アンジェリカは。生まれたばかりの頃にね」
「そ、んな……」
 思わずリックが声をもらす。
「長老会だという確証はないが、私は間違いないと思っている。彼女の髪の色と瞳の色を知り、生まれてこなかったことにしようと思ったのだろう」
 サイファは目を閉じて、息を吸い込んだ。そして、少し前かがみになり、膝の上で手を組んだ。
「ところが、錯乱したレイチェルが、逆にその暗殺者をあやうく殺しかけてしまってね。まあ自分の子供が首を絞められている場面に遭遇して、錯乱するなという方が無理な話だが」
「一度だけ、ですか?」
 ジークは冷静を装ったつもりだったが、激しい鼓動の影響を受けて、その声は揺れていた。
「ああ。それ以降は一度も襲われていない。だからといって不安がなくなったというわけではないよ。ラウルにアカデミーの担任を頼んだもの私だ。アンジェリカを見ていてもらえるようにな」
 そう言ったあと、サイファはにっこり笑った。
「ラウルが担任になったことは、君たちには迷惑だったと思うが」
「いえ」
 ジークは反射的に答えた。なぜそう答えてしまったのか、自分でもわからなかった。いや、この状況で迷惑だなどと言えるはずがない。
 彼の複雑な表情を見て、サイファは再びにっこりと微笑んだ。ジークは、彼に心の内を見透かされたように感じて、ばつが悪そうに下を向いた。
「まあ、飲んで」
 サイファはふたりにすすめると、自らもグラスを取り、残り少なくなったバーボンを一口で飲み干した。カラカラと音をさせながら、ゆっくりとグラスを置く。ジークとリックも、それに続いて少しだけ口をつけるとグラスを置いた。ふたりとも衝撃的な話を聞いたばかりで、悠長に飲むなどという気分にはなれなかった。

 サイファはゆっくり目を閉じた。
「実はね……」
 その不安を煽るような切り出しに、ふたりの緊張が一気に高まった。無言で次の言葉を待つ。
「まだ話したいことはあるんだよ」
 サイファはじっとジークを見つめた。
「まだあるんですか?」
 リックは驚きを隠しきれなかった。サイファは彼に振り向くと、穏やかな表情を浮かべた。
「今日は一気にたくさん話しすぎたね。この話はまた今度にしよう」
「今、聞かせてください!」
 ジークは机に手をつき、身を乗り出して叫んだ。横でリックが目を丸くしている。ジークははっとして、その身を戻した。そして、うつむきながら、小さな声で付け足した。
「……気になりますから」
 サイファは再びジークを見つめた。ジークはその瞳の深さに、吸い込まれそうな感覚をおぼえた。
「では、あと少しだけ付き合ってもらうとしよう」
 ジークとリックは息を飲んで頷いた。
「ラグランジェ家には婚約制度というものがあってね。本家の子は皆、10歳までに婚約者を決めなければならないんだ。相手は分家からと決まっているし、本人の意向など全く無視される」
「え……。それじゃ、アンジェリカも?」
 リックは驚き、焦って尋ねた。
「いや、まだ決めていない。というか、決めるつもりもないよ」
 サイファはにっこりする。
「おかげで、今、あちこちからせっつかれて大変だよ。でも、あの子には自分で自分の幸せを見つけてほしい。それが私たちの願いだ」
 穏やかだがきっぱりとした口調で言い切った。リックはほっとしたように笑顔を見せた。ジークは小さく首を縦に振った。
 しかし、サイファの顔にふと暗い影が広がった。小さく息を吐くと、低い声で話し始めた。
「ただ、それは理想論であり、現実となると、それを阻むものが出てくる」
 ジークとリックは固唾を飲んで耳を傾けた。今度は一体どんな話なのだろうと、考えるだけで息苦しくなる。
「私が生まれるより前の話だが」
 両手を口の前で組み、少しうつむいた。
「本家の娘で、決められた婚約者でない人と一緒に逃げた……。俗っぽく言えば駆け落ちだな。そういうことをした人がいたんだ」
 サイファはうつむいたまま淡々と話し続けた。しかし、サイファの冷静さとは裏腹に、ジークの鼓動は何かに煽られるように、どんどん強くなっていった。
「だが」
 短く強い調子で言うと、サイファは上目づかいにジークに視線を送る。
「それから間もなく、相手の男が亡くなった」
 サイファは、ジークの瞳を射抜くような強さで見つめた。
「表向きは事故死、ということになっているが、おそらくは……」
「長老会、ですね」
 リックが硬い表情でゆっくりと言った。その額には冷や汗がにじんでいる。
「ああ」
 サイファは激しい感情を懸命に押さえ込みながら、低い声で返事をした。
「ここまでのことをやってきたからこそ、ラグランジェ家を、金の髪を、青い瞳を、守ってこられたのだと思うよ。いったいどれだけの人間が血と涙を流してきたのか……。こんなもののために」
 サイファは嫌悪感をあらわにすると、自分の横髪を無造作に掴み、ひねりながら引っ張った。
「私たちは何があっても全力で守るつもりだが、守りきれる保証はどこにもないんだ。ときどき思うよ。ラグランジェ家のしきたりに従って、おとなしくしていた方が、彼女のためなのかもしれない、とね」
「そんなことは、ないと思います」
 ジークはときおり言葉を詰まらせながら言った。サイファはその言葉を聞くと、にっこり笑った。
「そうだな。これからは、もう迷わなくて済みそうだ」

「もっとゆっくりしていけばいいのに」
 外へと続く階段を前にして、見送りのフェイは少し残念そうに言った。
「彼らがあした、バイトがあるっていうのでね」
 サイファがそう言うと、リックが申しわけなさそうに軽く頭を下げた。
「そう。君たち、ひとりでもいいからいつでもいらっしゃい」
 フェイは挑発的な笑みを浮かべると、下からふたりを覗き込んだ。
「はい」
 少し頬を紅潮させながら、リックが返事をした。ジークもその返事に合わせて頷いた。
 三人はフェイに見送られながら、短い階段を上がり、通りに出た。辺りはもうすっかり暗くなっていた。もともと薄暗い道だったが、灯りがほとんどないため今はすっかり闇である。
「ところで、何のバイトかは教えてもらえないのかな」
 サイファはふたりを振り返ると、いたずらっぽい笑顔を見せた。
 ふたりは互いに顔を見合わせると、ジークが小さく頷いた。リックがサイファの方に向き直る。
「あの……平たくいうと、着ぐるみショーです。魔導が使えることが条件だったので、僕たちにはちょうどよかったんです。アカデミー魔導全科の生徒だって言ったら即OKでした」
「意外なところで恩恵が受けられるものだね」
 サイファがにこやかに相槌を打った。
「はい。僕もこんなに効力があるとは思いませんでした。それで着ぐるみショーなんですけど。どういうものかというと、いま子供たちに人気の戦隊もので、魔導の力をつかって怪人を倒し世界の平和を守るっていうストーリーなんです。僕がイエローでジークがブルーで……」
「そんなことどうでもいいだろ!」
 だんだん嬉しそうに話しだしたリックを、ジークはあわてて止めた。彼は恥ずかしそうにうつむいた。しかし、わずかに顔を上げると、サイファの様子をこっそり窺った。サイファは穏やかな笑顔をたたえたまま、ふたりを見守っていた。
「俺、アンジェリカに言います。ちょっと恥ずかしくてあんまり言いたくなかったんですけど、アンジェリカの秘密だけ聞いておいて、自分のことは言わないっていうのもやっぱり卑怯な気がしますし」
 サイファは笑顔で頷いた。
「きっと喜ぶよ、あの子」

 靴音を響かせながら通りを歩く。ジークは前を行くサイファの背中をじっと見つめながら、意を決したように口を開いた。
「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
 サイファは足を止め、顔だけジークに振り返った。
「どうして、アンジェリカの髪と瞳は黒いんですか?」
 沈黙があたりを包んだ。リックは顔から血の気が引いた。なんてことを訊くのだと焦った。しかし、サイファは動揺することなく、にっこりと笑った。
「それは、私には答えることのできない質問だ」
 そう答えると、再び前を向き、なにごともなかったかのように歩き出した。
 ジークには、その微妙な言いまわしの意味することはわからなかったが、もうこのことについては触れてはいけないような、そんな気にさせられた。