「ジークさん、いらっしゃいますか?」
背後から掛けられた聞き覚えのない声。玄関先を竹ぼうきで掃いていたレイラは、手を止めゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、すらっと背の高い少女だった。明るい栗色の髪と深い濃青色の瞳が、上品さを漂わせている。彼女は少しぎこちない笑みを浮かべて、レイラの返事を待っていた。
レイラはしばらく、彼女のすっきりとした顔立ちに見とれていた。顔だけではない。細く長い手足、透き通るような白い肌、深い色の瞳……。そのすべてに見とれていたのだ。しばらくそうしていたが、ふと我にかえると、勢いよく家の中に駆け込んでいった。
「ジーク!! ジーク!!」
とんでもない大声で叫びながら、レイラはドタドタと階段を駆け上がっていった。ジークは彼女に冷ややかな視線を投げかけた。
「何だ? 空から鯛でも降ってきたのか?」
「あんたにすっごい美人さんが会いに来てんのよ!」
「……? アンジェリカじゃないのか?」
「違う違う、彼女だったら一回会ってるしわかるわよ。あんたと同じか、ちょっと上くらいのべっぴんさんよ」
ジークは訝しげに、斜め上に目をやった。
「セールスかなんかじゃねぇのか、それ」
「セールスでもなんでもいいから、とにかく早く行ってきなさいよ! 見るだけでも得した気分になるわよ」
レイラはなぜだか上機嫌だった。彼女に急かされるまま、ジークは階段を降りていった。面倒くさそうに頭をかき、ため息をつく。
「あ?」
ジークは、玄関口に立っている来客を目にすると、一瞬、驚きの表情を見せた。
「久しぶり」
それはセリカだった。少しばつが悪そうにしていたが、それでもなんとか笑顔を見せようとした。しかし、ジークはそれに応えようとしなかった。むっとして体ごと横に向き、腕を組みながら壁にもたれかかった。
「なんで俺の家、知ってんだ?」
「名簿に住所が載ってるわ」
彼女はあっさりと答えた。ジークは名簿の存在などすっかり忘れていた。
「今、何してたの?」
今度はセリカが尋ねた。
「勉強」
ぶっきらぼうに一言だけ答えた。そしてそれきり口を開こうとはしなかった。沈黙がふたりの間に流れる。
セリカは居心地の悪さを感じながらも、無理に笑顔を作ってみせた。
「少し、話がしたいんだけど」
ジークは無表情でしばらく沈黙を保っていた。だが、ふいにセリカとは別の方から視線を感じ、そちらに振り向いた。そこには、階段の上の方から、興味津々に身を乗り出しているレイラがいた。ジークは思いきり呆れ顔を彼女に向けた。そして、ふうとため息をつくと、壁から体を離した。
「外へ出よう」
ジーンズのポケットに軽く手を突っ込み、セリカを追い越すと、大きな足どりで外へ出ていった。セリカはレイラに向かい、丁寧に一礼すると、ジークのあとについて出ていった。
「へぇ……。なんだかワケありっぽいじゃない?」
レイラはほおづえをつき、わくわくしながらふたりの姿を見送った。
ジークはポケットに手を入れたまま、無言で歩き続けた。セリカはその五歩ほど後ろを歩いていた。それ以上、近づくことを許さない、そんな空気を彼の背中に感じとっていたのだ。
十分くらい歩き続け、鉄棒と砂場しかない小さな公園に辿りついた。隣が森のためか、昼間にもかかわらず、薄暗くひんやりとしている。ひとけもなく、鳥のかん高い鳴き声だけが響いていた。
ジークは自分の腰ほどの高さの鉄棒にもたれかかり、腕を組んだ。
「話って何だ?」
セリカを見ることなく、斜め下に視線を落としたまま、低いトーンで切り出した。
「あの日のこと……ごめんなさい」
セリカは平静を装っていたが、その声はわずかに揺らいでいた。
「謝る相手が違うんじゃねぇのか」
ジークは、低い声ではっきりと言った。その声からは、あからさまな苛立ちが滲んでいた。セリカのいう「あの日」というのが、長期休暇前の成績発表の日ということはすぐにわかった。あのとき、確かにセリカに対して怒りを表していたのは自分だった。だが、彼女の謝るべき相手は、彼女が最も傷つけた相手、すなわちアンジェリカである、そうジークは思ったのだ。
セリカは図星をつかれて押し黙った。アンジェリカにも謝る、それが正しいのだとわかっていながら、どうしてもそう答えることができなかった。
風がふたりの間を吹き抜ける。
セリカの薄地のワンピースがパタパタと音を立ててはためいた。その軽い音にあおられるように、セリカの鼓動はどんどん速くなっていった。早く何か言わなければ……。追い立てられるように、懸命に言葉を探した。
「わ……たし……」
言いたいことも定まらないまま、セリカはうわずった声で切り出した。そして、眉根を寄せると、苦しそうに大きく息を吸い込んだ。
「自分でも、わからないの。どうして、あんなことを言ったのか……。自分が自分でなくなるような……」
少しづつ息を吐きながら、消え入りそうな声で言葉をつなげた。ジークは彼女に顔を向けると、鋭い視線を突き刺した。
「そんないいわけをするために、わざわざ来たのか?」
セリカは再び言葉を失った。彼女の目の前に、一瞬、闇が広がった。
ジークは勢いをつけて鉄棒から体を離し、そのまま数歩前へ出た。そして、セリカに背中を見せたまま、静かに口を開いた。
「おまえ、四大結界師になりたいとか言ってたな」
セリカは、彼がなぜ急にその話を持ち出してきたのかわからず、不安げに顔を曇らせた。
「……えぇ」
自信のない声で小さく答えた。
「おまえには世界を任せられない。俺が阻止する」
静かに、しかしはっきりと、ジークは言い放った。そして、彼女を残しその場を立ち去った。
「……何やってんだ、おまえ」
ジークは目を見開いた。リックは、公園の外側にある並木の根元にしゃがんでいた。その姿勢のままジークを見上げ、困ったように笑ってみせた。
ジークの表情が、驚きから呆れへと変化した。
「覗いていたのか。悪趣味」
「おばさんにきいたらキレイな子と出ていったっていうから、ここかなと思って来てみたんだけど、とても出ていける雰囲気じゃなくて、つい……」
一通りのいいわけを済ませると、リックは膝を伸ばして立ち上がった。
「でも、あそこまで言うことなかったんじゃない? 泣いてたよ」
「泣いてたのか?」
「まだ泣いてるよ。ほら、ここから見えるよ」
リックは木陰に身を隠しながら、公園の中を指さした。
「見ねぇよ。見たくねぇ。見るもんか」
少し苛立って、ジークは早口でまくしたてた。
「おかえり!」
レイラは歯切れよく声をかけた。ミシンがけの手を止め、玄関から入ってきた足音に目を向ける。
「ああ、ただいま」
ジークは母親を見ることなく、疲れた声で返した。
「おじゃまします」
リックはジークに続いて家に入り、にこやかにと挨拶すると、軽く頭を下げた。レイラは彼に笑顔を返すと、再びミシンがけを始めた。だが、すぐにその手を止めた。よく通る大きな声を、再びジークに向けた。
「あんまり女の子を泣かすもんじゃないわよ!」
それを耳にしたとたん、ジークは昇りかけていた階段をとびおりた。
「おまえも覗いてたのか!」
耳を真っ赤にしながら叫ぶジークに、レイラは一瞬驚いたが、すぐにいたずらっぽい笑顔に変わった。
「へぇー、泣かしたんだ。テキトーに言ってみただけなんだけど、当たっちゃったわけね! やるわね、この色男!」
ジークはただ唖然とするしかなかった。