遠くの光に踵を上げて

第55話 新たな再会

「ジーク、早く!!」
「なんでそんなに急いでんだよ」
 小走りで急かすリックを面倒くさそうに見ると、ジークは大きな口を開けてあくびをした。
 この日はいつもより1時間も早くリックに叩き起こされ、朝食も口にしないまま家を出た。なぜこんなに急ぐのか、ジークにはまったく理由がわからなかった。リックに尋ねても、ごまかされたり、はぐらかされたりするだけで、まともに答えてくれない。彼のそわそわした落ち着かない様子を見ると、何かあるのだろうとは思ったが、そのうちわかるだろうと、しつこく問いつめることはしなかった。

 アカデミーの近くまで来ると、いつになく賑やかなことに気がついた。始業時間よりだいぶ早いにもかかわらず、人だかりが出来ている。
「そうか、今日は合格発表か。知り合いが受験したのか?」
「ん……まあね」
 リックは歯切れ悪く認めた。
「ジーク! リック!」
 人だかりの中から出てきたアンジェリカが、手を振りながら駆け寄ってきた。
「おう、おまえも早いな」
「また変なのが入ってくるんじゃないかって、心配で落ち着かなくって」
 アンジェリカは笑いながら肩をすくめた。「変なの」とは、ラグランジェ家の人間を指しているのだと、ふたりにはすぐにわかった。去年はレオナルドとユールベルのふたりが入学してきた。そのせいで、いろいろな騒動に巻き込まれた。彼女が心配するのも無理はない。
「いたのか?」
 ジークは緊張した面持ちで尋ねた。しかし、彼女は小さく笑って、首を横に振った。
「今年は知った人間はいなかったわ」
「そうか、良かったな」
 ジークはほっと息をついて胸を撫で下ろした。
「ジークたちは?」
「ああ、リックの知り合いが受験したらしい……だろ?」
 同意を求めてリックを振り返ったが、すでに彼は合格発表を見に向かっていた。人だかりにもぐり込んでいく背中が見えた。しかし、そこはアンジェリカが出てきたのとは違うところだ。
「あっちは確か、医学科ね」
 彼の消えていった方に目をやりながら、彼女はぽつりとつぶやいた。
 ジークは不意をつかれたように感じた。リックの知り合いも、自分たちと同じ魔導全科だと勝手に思い込んでいたのだ。医学に興味のあるリックの知り合いとなると、ますます見当がつかない。怪訝な顔で軽く首をひねると、小走りでリックの後を追った。アンジェリカもその後に続いて走り出した。

 医学科の合格発表を見ている群衆は、魔導全科より少なく、かき分けるのもまだ楽な方だった。
「よかったね、おめでとう!」
 リックの声が聞こえる。彼は誰かと手を取りあって喜んでいるようだった。相手は人垣に阻まれてよく見えない。
「ありがとう!」
 返ってきたのは女性の声だった。どこかで聞き覚えのある声。まさか、と思いながら、ジークは乱暴に目の前の人を押しのける。そして、目に飛び込んできたのは、明るい栗色の髪、濃青色の瞳、すらりと伸びた手足の……。
「セリカ?!」
 ジークとアンジェリカは同時に声を発した。ふたりとも驚いて目を見開き、呆然とした。セリカは一年生のときに事件を起こし、自主退学した元クラスメイトだ。それがなぜ再びアカデミーに、しかも魔導全科ではなく医学科に……。
「あら、久しぶりっ」
 ふたりに気がついたセリカは、にっこりと笑いかけた。リックも振り返ると、照れたような笑顔を見せた。
 ジークは腕を組んで、リックの背中に蹴りを入れた。
「どういうこった」
「説明すると長くなるんだけど……」
 リックはごまかし笑いを浮かべながら逃げようとしたが、ジークは容赦しなかった。青筋を立て、引きつった顔でニヤリと笑い、逃げ腰の彼にぐいと迫った。
「幸い時間はたっぷりあるぜ」
 リックは早く来てしまったことを少し後悔した。

 ジーク、リック、アンジェリカ、セリカの四人は、アカデミーの食堂に来ていた。アンジェリカとセリカは紅茶だけだったが、朝食がまだだったジークとリックはサンドイッチも頼んでいた。窓際の丸テーブルに席をとり、腰を下ろす。始業前という時間のため、食堂内は昼どきの喧噪が嘘のような静けさだった。ジークたちの他には、奥に数人いるだけである。
「で、どういうことなんだよ」
 ジークは憮然として切り出すと、さっそくサンドイッチにかぶりついた。
「うーん、どこから話したらいいのかな……」
「アカデミーを辞めてから、私、花屋でアルバイトしてたの」
 リックが悩んでいると、隣のセリカが切り出した。
「その花屋で感動の再会ってか」
 ジークはたっぷりサンドイッチをほおばったまま、皮肉めいた調子で口をはさんだ。
「もう、ジーク。とりあえずおとなしく聞いてよ」
 大人げない彼を、アンジェリカがたしなめた。ジークはムッとしながらも、反論はしなかった。無言でサンドイッチを口に運ぶ。
 セリカは多少とまどいながらも、話を続けることにした。
「私は主に配達の仕事だったの。ときどきアカデミーや王宮にも行くことがあって、ものすごく嫌だったんだけど、仕事だから仕方ないでしょ? 帽子を目深にかぶって、ばれないようにこそこそ行ってたわけ」
 セリカはそこまで言うと、紅茶を手にとり一息ついた。彼女の話を受けて、今度はリックが説明を始めた。
「で、一年くらい前だったかな。僕たちが二年になってしばらくした頃だね。図書室に行く途中で、そんな彼女を見かけて後を追ったんだ。ジークたちには、忘れ物をしたからって先に行ってもらったと思う」
「そういえばあったわね、そんなこと。リックが忘れ物なんてめずらしいと思ったもの」
 アンジェリカは、忘れかけていた過去の疑問が解決して、すっきりした顔を見せていた。一方のジークは相変わらず不機嫌なままだった。腕を組み、リックを横目で睨む。
「なんでそんな嘘をついたんだよ」
「……だって、ジークやアンジェリカとは、顔をあわせづらいかなと思って」
 少し遠慮がちに、しかしはっきりとそう言った。確かにリックの言うとおりだ。ジークには思い当たることがあった。目を伏せ、口をつぐむ。
 リックは紅茶をひとくち飲むと、話を続けた。
「それから、セリカと会うようになったんだ。お互いの悩みとかを相談しあったりね」
「リックの母親のことも聞いたわ」
 セリカはそう言いつつ、不安そうにちらりとリックをうかがった。彼はその不安を払拭するように、にっこりと頷いた。彼女も頷き返して話を続けようとしたが、そのときふいに割り込みが入った。
「母親のことって?」
 アンジェリカが疑問を投げかけた。リックはまっすぐ彼女に顔を向けて答える。
「ジークは知ってるんだけど、僕の母親、倒れて入院してたんだ」
「そういえば、ジークがそんなこと言っていたかしら」
 アンジェリカは独り言のようにつぶやくと、口元に手を添えて、遠い記憶を探った。ジークは自分が話したかどうか覚えていなかったので、だんまりを決めこんだ。彼女から逃げるように、そっと視線をそらす。
 リックはそんな彼を見て小さく笑った。それから再び彼女に向き直ると、少し補足をした。
「もともと体が弱くて入院することが多かったんだけど、このときの入院は長引いちゃってね」
 セリカはその後を引き継いで、話を続けた。
「リック、アカデミーの勉強とお母さんの世話で、だいぶ参っているみたいだったのよね。だから、私がお母さんのことをお手伝いすることにしたの。アルバイトは夕方早くに終わっちゃうし、時間は持て余してたから」
 少し照れくさそうに笑って肩をすくめた。リックは彼女に優しく笑いかけた。
「本当にすごく助かったよ」
「お母さん優しい方だし、いろんな話も聞けて、私も楽しかったわよ」
 ふたりは顔を見合わせて笑顔を交わした。
「おいっ、続き!」
 いらついたように急かすと、ジークはサンドイッチを口いっぱいにほおばった。ふたりはきょとんとして彼に目をやり、再び顔を見合わせると、くすりと笑いあった。
「続きよね。えっと……それで病院に通うようになって、医療現場を間近で見るうちに、こういうのもいいなって思うようになったの」
 セリカはジークを眺めながら、昔を懐かしむように目を細め、微かに笑みを浮かべた。
「おまえには世界を任せられない、なんてジークには言われちゃったけど、目の前の人を助けるのなら、私にもできるんじゃないかってね」
 ジークはげほげほとむせ、涙目になりながら、慌ててティーカップを手にとった。
「ジーク、ずいぶんきついことを言ったわね」
 アンジェリカが驚いてジークを見た。彼は目尻を拭いながら、しきりに首をかしげていた。
「……言ったか? 俺」
「ひっどーい、忘れたの?!」
 セリカはわざと怒ったような顔を作ったが、すぐに吹き出してあははと笑った。その様子からすると、自分を責めているわけではないようだ。ジークは安堵してほっと息をついた。
「それから半年くらいかな。一生懸命、必死で勉強したわ。母とふたりきりだし、アカデミー以外に行く金銭的余裕はないのよね。魔導全科を受けたときより、ずっと真面目にやったんじゃないかなぁ」
 ゆっくりとほおづえをつき、遠くを見やる。いろいろと大変だったはずだが、それを思い返す彼女の表情はすがすがしいものだった。
「で、合格よ」
 ほおづえをVサインに変えウインクする。そして、真面目な顔でリックに向き直ると、穏やかに微笑んだ。
「リックが支えてくれたおかげよ」
「ううん、セリカが努力した結果だよ」
 ジークは冷めた目でふたりを見ながら、リックのサンドイッチを奪ってかぶりついた。
「親友だと思ってたのに、俺らにはまったくの秘密かよ」
 口にサンドイッチを入れたまま、行儀悪く文句をつける。
「ごめんね」
「リックを責めないで。私が頼んだのよ、言わないでって」
 申しわけなさそうに弱い声で謝るリックを、セリカが慌ててかばった。そして、淡々と語り出す。
「まだ気持ちの整理がついてなかったし、あなたたちがどんな反応をするのかも怖かったのよ」
 ふいにジークとアンジェリカの表情に翳りがさした。それを見て、セリカは焦って追加した。
「あっ、今はもう大丈夫よ」
 そう言ったあと、今度は彼女の顔に陰が落ちた。
「アンジェリカにはまだ恨まれてるかもしれないけど……」
「初めから恨んでなんかいないわ」
 アンジェリカは少しムッとしてセリカを見た。そしてきっぱりと言い放つ。
「ただ、あなたのことが苦手なだけよ」
 セリカは一瞬、唖然としたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
 机に両ひじをつき、アンジェリカをじっと見つめる。
「ずいぶん大人っぽくなったわね」
「えっ?」
 唐突に思いがけないことを言われて、アンジェリカはきょとんとした。セリカは組んだ両手の上にあごを乗せ、意味ありげな笑みを口元に浮かべた。
「あなたにはいい女になってもらわなきゃって思ってたけど、心配なかったわね」
「どういう意味?」
「ふふっ、私のプライドの話。詳しいことはジークに聞いてみて」
 紅茶を飲んでいたジークは思いきりむせ込んだ。
「……テメー、それ仕返しのつもりか」
 ジークは半分困ったように眉をひそめると、顔を紅潮させながら、上目づかいでセリカを睨んだ。彼女は楽しそうに屈託なく笑った。
「どういうこと?」
 何がなんだかわからないアンジェリカは、いらついた様子で、ジークとセリカを交互に見た。ジークは片手で頭を抱え込み、セリカはただにこにこと笑っている。ふたりとも答えてくれそうもない。もっと強い調子で問いつめようとした、そのとき。
 キーン、コーン——。
 始業のチャイムが鳴った。
「えっ?! もうこんな時間?!」
 リックは腕時計を見て、顔から血の気が引いた。ジークは飛び上がるように立ち上がった。
「行くぞ! おいっ」
「あ、うん」
 釈然としないまま、アンジェリカも席を立った。
「じゃ、セリカ、またあとでね」
 リックは軽く右手を上げた。
「ええ」
 セリカは手を振って、三人を見送った。

 キーン、コーン——。
 終業のチャイムが鳴った。ラウルは教本を閉じ、机の上に叩きつけるように置いた。
「今日はここまでだ。レポートは今週中に提出だ。忘れるな」
 鋭い目で、静まり返った教室を見渡す。返事がないのはいつものことだ。それを要求しているわけではない。ひととおり睨みをきかせると、教本と資料を小脇に抱え、大きな足どりで教室をあとにした。

「レポート多すぎなんだよ」
 ジークはぶつくさと文句を言いながら、鞄の中に筆記具と教本、ノートを放り込む。リックとアンジェリカは、いつものようにジークの席にやってきた。
「図書室、寄ってくだろ? レポートやらねぇとな」
「そうね。今回は量が多いから、早めにやっておかなきゃ」
 アンジェリカは小さく肩をすくめた。ジークは軽くため息をつくと、鞄を閉じて立ち上がった。
「ごめん、僕はちょっと……」
 リックは申しわけなさそうに眉根を寄せ、顔の前で両手を合わせた。ジークはすぐにピンと来た。
「ああ、セリカか?」
「うん、ホントごめんね」
 焦ったように早口でそう言うと、手を振りながら、いそいそと小走りで出ていった。

「……なんかショックよね」
「何がだ?」
 ジークはアンジェリカに振り向いた。彼女は不機嫌に、そしてどこか寂しげに、顔を曇らせた。
「私たちといるより、セリカといる方が楽しいみたい」
「楽しいんだろ」
 ジークはさも当然という調子でさらりと言った。しかし、アンジェリカは納得がいかない。むっとして口をとがらせる。
「ジークはそれでいいの?」
「仕方ねぇだろ」
「セリカのこともずっと内緒にされていたのよ?」
「そりゃ初めは頭にきたけどな。セリカに頼まれたから言えねぇって事情もあったわけだし」
 確かに彼の言うとおりである。それでもアンジェリカの気はおさまらなかった。頬をふくらませ、八つ当たりぎみに彼を睨み上げる。
 ジークは鞄を肩にかけ、わずかにうつむいた。
「やきもち、焼いてるのか?」
「……そうかも」
 彼が静かに問いかけると、アンジェリカは真面目な顔で考え、短くぽつりと返事をした。
「行くぞ」
 ジークは突然にそう言って、教室を出ようと歩き出した。
「え?」
 彼女が思わずもらしたその声に、彼の足が止まった。しかし、振り返ることなく、平静を保った声で言葉を落とした。
「図書室、行くんだろ」
「あ、うん」
 彼女は我にかえったように頷くと、鞄を抱えて、ジークの元まで駆けていった。

「ジーク」
 開け放たれた扉から、リックがひょいと顔をのぞかせた。ジークは狭い部屋の中央で横になり、教本を眺めていた。まわりにはうずたかく積まれた本や雑誌の山、散乱した服、食べかけのスナック菓子などで、足の踏み場もない。
「ああ、入れよ」
 ジークは気の抜けた声で返事をすると、起き上がってあぐらをかいた。
「ごめんね、今日は。セリカが合格したらお祝いしてあげるって約束だったんだ」
 リックはそんなことを言いながら、靴を脱いで、部屋に足を踏み入れた。脱ぎ散らかした服を脇にどけ、自分が座るスペースを作る。いつものことなので、もうすっかり手慣れている。
「気にしてねぇよ」
「だよね」
 予想外の反応に、ジークは面くらった。唖然としてリックを見上げる。彼はにこにこしながら腰を下ろした。
「たまには僕がいないのもいいでしょ?」
「どういう意味だ」
 けわしい目つきでリックを睨む。しかし、彼はとぼけた調子で返した。
「あれ? 説明してほしいの?」
「……いや、いい」
 ジークは耳元を赤らめながら目をそらせ、複雑な表情でうつむいた。
「アンジェリカは……けっこうショックだったみたいだぜ」
「うん、もともとセリカのことを良く思ってなかったもんね」
 リックは寂しげな笑顔を浮かべた。ジークは下を向いたまま、難しい顔で考え込んでいた。
「いや、もしかしたら、あいつは……」
「なに?」
 言葉を詰まらせたジークに、続きを促す。しかし、彼は額に手をあて顔をしかめた。
「何でもねぇよ」
 ぼそりとそう言い、ふいに缶ジュースを放り投げた。リックはゆるい放物線を描いたそれを受け取ると、ジークの横顔をうかがった。何か思い悩んでいる様子が見て取れる。しかし、尋ねても機嫌が悪くなるだけで、答えてはくれないだろう。過去の経験上、そのあたりのことはよくわかっていた。気にはなったが、この場はそっとしておくことにした。
「それじゃ、もう帰るね。レポートやらなくちゃ」
「ああ、頑張れよ」
 立ち上がるリックにちらりと目を向け、けだるそうに右手を上げた。リックは靴をはきながら、缶ジュースを持った右手を上げて答えた。
「ジークもね」
 にっこり笑いかけてくるリックの顔を、ジークはまともに見ることが出来なかった。