遠くの光に踵を上げて

番外編 教育係

【まえがき】2005年カップル・コンビ人気投票 アルティナ&レイチェル 3位記念で書きました。アルティナが王子と結婚するちょっと前くらいの話です。

「教育係?! 嫌よ、絶対にイヤ!」
 アルティナは必死の形相でわめき散らした。机をドンと叩きつけ、立ち上がる。しかし、向かいに座る年輩の女性は平然としていた。
「もう決定事項です。あなたの教育係は厳しい女性だと聞いています」
 眼鏡をかけたきつい顔で、冷たく淡々と事務的に言う。しかし、アルティナは引き下がらなかった。
「勝手に決めないでよ! だいたい……」
「またわがままばかり言っているのですか?」
 戸口からの穏やかな声が、アルティナの話をさえぎった。彼女は、まっすぐな長い銀髪をなびかせながら振り返った。そして、あからさまに不愉快そうに眉をひそめ、その男を睨みつけた。
「あんたにだけは言われたくないわ、この自己中オトコ!」
 そう罵られながらも、彼はにこにことしていた。濃青色の官服、鮮やかな金髪、涼しげな顔立ち——サイファである。
「そろそろ観念したらどうですか?」
「冗談じゃないわ。来てくれるだけでいいって言ったじゃない!」
「それを言ったのは私ではないですよ」
 彼はにこやかな表情のまま受け答えをした。アルティナはむくれながら、じとっと彼を睨んだ。ある考えが頭をよぎる。
「……まさか、あんたの差し金じゃないでしょうね?」
 思いきり疑惑を抱きながら、抑えた声で尋ねかけた。サイファは大きくにっこりとした。
「アルティナさんのためですよ。あなたのことを快く思っていない人間は多いですから。つまらないことで、揚げ足をとられたくはないでしょう?」
「だからって、あんたたちの言いなりになるなんてゴメンだわ。私は私、変わらないわよ!」
 サイファに人さし指を突きつけ、強気に言い放った。しかし、彼は冷静なままだった。
「変わってほしいわけではありません。今のままで構いませんよ。ただ、知ってて従わないのと、何も知らない、何も出来ないのとでは、大きく違いますから」
 アルティナは胡散くさそうに眉をひそめた。
「騙されないわよ。腹黒いあんたの言うことなんて信用できるもんですか」
「裏なんてありませんよ」
「とにかく、絶対にイヤよ!」
「そんな悲しいことをおっしゃらないでください」
 サイファの声ではない。可憐だが、それでいて凛とした声。アルティナが目を瞬かせると、サイファの背後から少女が歩み出てきた。上品なシャンパンゴールドのドレスに身を包み、愛らしい微笑みを浮かべている。
「初めまして、アルティナさん。教育係を務めさせていただきます、レイチェル=エアリ=ラグランジェです。よろしくお願いいたします」
 アルティナは唖然とした。
「……教育係? あなたが?」
「はい」
 レイチェルはにこっと笑った。
「かぁわいぃーー!!」
 アルティナは彼女をがばっと抱きしめた。
「こんな可愛い教育係なら大歓迎よ。厳しい女性だなんて嘘ばっかり、もう」
「あら、私は厳しいですよ。びしびし指導させていただきます」
 レイチェルはにっこり笑いながらそう言った。アルティナはその言葉を真に受けてはいなかった。にこにこしながら彼女の頭を撫でる。
「それで、お嬢ちゃんは何を教えてくれるのかしら」
「礼儀作法、言葉遣い、王族のこと、王宮についてとそのしきたり、法律関係、政治関係、必要であれば科学や魔導についてもお教えします」
「へぇ、若いのにいろいろ知ってるのね」
 アルティナは少し驚いたように感心した。レイチェルはくすりと笑った。
「私、アルティナさんと同じ年齢なんですよ」
「同じって……ハタチ……? う、うそ?!」
「本当ですよ」
 サイファが後ろからフォローした。アルティナはしげしげとレイチェルを見た。
「ずいぶん幼く見えるわね。ま、可愛いからいいけど!」
 サイファはにっこり笑ってふたりを見た。
「気に入っていただけたようで良かったです。これからよろしくお願いしますよ。あまり我侭ばかり言って、私の妻を困らせないでくださいね」
 アルティナはきょとんとした。
「つま……ツマ……? 妻ぁ?!」
 目の前のレイチェルにバッと向き直る。
「じゃあこの子がウワサの幼な妻?! 確か、4年前に結婚して、娘もいるって……」
 呆然としながら、まじまじと彼女を見つめる。そして、キッとサイファに向き直った。
「まるっきりコドモじゃない!! バカ!! 変態!!」
 アルティナはサイファを責めたてたが、彼はにこやかな表情のまま、まったく動じることはなかった。
「じゃ、レイチェル、あとは頼むよ」
「ええ」
 レイチェルに見送られながら、サイファは部屋をあとにした。

「では、さっそく始めましょうか」
 レイチェルはアルティナに振り返った。
「もう? 今から?」
 アルティナは少しうろたえたように聞き返した。こう見えて、まさか本当に厳しい人なのでは……。そんな不安に襲われた。
「まずはお茶の楽しみ方から、というのはどうでしょうか」
 レイチェルはにっこりと笑顔を見せた。アルティナも安堵してニッと笑った。
「いいわね。厳しくビシビシと?」
「ええ、覚悟してくださいね」
 ふたりは顔を見合わせて笑いあった。