今日も私のポンコツな心臓は動いている——。
藤沢陽菜(ふじさわはるな)は病院のベッドで目を覚まし、溜息をついた。ベッド脇の心電図モニタにはそこそこ規則的な波形が映し出されているが、おそらくその波形自体が正常なものではないのだろう。
生まれたときから心臓に欠陥を抱えていた。自宅で過ごした時間より入院の方が長いくらいである。治る見込みはなく、心臓移植をしない限り成人になるまで生きるのも難しいと言われてきた。次に発作が起こったら危ないとも聞いていた。だから先日発作で倒れたときはもう死ぬんだなと思ったけれど、案外しぶといらしく命は繋がっていた。
生きることに未練はない。
自分がいかに家族の負担になっているかくらい、世間知らずなりにわかっているつもりである。ごく平均的な中流家庭にとって陽菜の医療費はかなり厳しい。完治する見込みがあればまだしも、あと数年で死ぬとすれば溝に捨てるようなものである。それでも人として親として見捨てるわけにはいかないのだろう。平均的な両親は世間体という枷から逃れられないでいるのだ。
三歳上の姉の美雪は夢をあきらめざるをえなくなった。長らく見舞いにも来ていなかったのに、ある日ひとりでやってきたかと思うと泣きじゃくりながら陽菜を非難した。あんたのせいで家族がみんなつらい目に遭っているの、あんたが生まれたせいで私の人生もむちゃくちゃよ、いつまでのうのうと生きてるのよ——など喚くだけ喚いて帰っていった。
あとで母親に聞いたら、医師志望の美雪に大学進学をあきらめさせたという話だった。あいにくこんな辺境の地から通える大学はなく、進学するなら実家を出てひとり暮らしするしかないらしい。しかしながら学費が免除される見込みはなく、奨学金をもらるかどうかもわからず、たとえもらえたとしても生活費までは賄えないという。
きっと美雪は他にもいろいろとあきらめてきたのだろう。それもこれも陽菜のせいだ。随分ひどいことを言われた気もするが、彼女の心情を思うと責める気持ちにはなれなかった。どれも事実であり言われても仕方のないことである。逆の立場ならきっと陽菜も同じことを思っただろうから。
そのこともあり陽菜は高校に進学しなかった。両親は高校くらいは遠慮するなと言ってくれたが、美雪に大学をあきらめさせて、その元凶である自分が進学するなんてことはできない。どうせ進学したところで出席日数が足りなくなることは目に見えている。それ以前に未来のない人間が高校に行っても無駄でしかない。
自分がいかに持て余されているかは自分自身でわかっている。いまや両親が見舞いに来ることさえ少なくなっていた。見舞いに来ても表情はいつも明らかに作り笑いで、ひどく気を使っていることは伝わってくるが、暗く塞ぎ込んだ気持ちは隠せていない。早く死んでくれればいいのにというのが本音だろう。もちろんそれなりに善良で常識のある人たちなので、そんなことを口に出したりはしないけれど。
医師や看護師たちは優しく接してくれるが、それが仕事だからだということはわかっている。家族とは違って他人事だから深刻にならず笑顔を見せていられるのだ。もちろん感謝はしている。冷たく事務的な態度をとられるよりかはよほどいい。だからといって素直に甘えられる類のものではなかった。
陽菜はいつしか笑うことができなくなり、感情さえも希薄になっていた。
ただ、ボランティアで来ていたおねえさんの笑顔にだけはすこし心が動かされた。長期入院している子供たちに読み聞かせをしたり一緒に遊んだりするボランティアだが、来るたびに陽菜のことを気に掛けてくれていた。それもボランティアとしての仕事なのかもしれない。けれど彼女の屈託のない笑顔に偽りはないように思えた。
生まれ変わりなんて信じていないけれど、もし生まれ変われるのなら今度はおねえさんのような人になりたい。自分以外の誰かのために役に立てるような、誰かに必要とされるような、誰かに好きになってもらえるような。彼女の優しい笑顔を思い浮かべながら目を閉じようとした、そのとき。
ガラガラと病室の扉が開き、いつになく真剣な面持ちの医師と看護師が入ってきた。その後ろに続いたのは両親だ。ベッドに横たわったまま、じっと怪訝なまなざしを送る陽菜に医師は告げた。藤沢さんの心臓移植が決まりました、と——。