「はっ!!」
武蔵の懐に素早く飛び込み、みぞおちに放った一撃は、読まれていたかのように軽く阻まれた。すぐさまもう一方の拳を打ち込むが、こちらも完全に受け止められてしまう。一度間合いを取るべく、後方へ飛び退こうとしたが、その一瞬に足もとをすくわれた。
「——っ!」
受け身を取りつつ倒れ込み、一回転して彼の追撃をかわすと、その勢いを利用して側頭部に蹴りを入れる——はずだったが、すんでのところで足首を掴まれてしまう。さらに、膝裏を抱え込んで体ごとのしかかられ、両腕までもがあっさりと取り押さえられた。逃れようと懸命に体を捩るが、彼の力には敵わず、ほとんど身動きすらとれない。
「も……もう一回!」
「いいかげん諦めろ」
躍起になって再戦を申し込む澪を、武蔵は煩わしげに溜息を落として軽くあしらう。そして拘束していた澪の両腕と左脚を解放し、少しだけ体を起こすと、澪の顔にかかる乱れた黒髪をそっと払った。
橘家と電話で交渉をしてから三日が過ぎた。
それ以降、澪の手錠はずっと外されたままである。外に出なければ何をやってもいいと言われたが、やはりトレーニングくらいしかすることはない。それゆえ一人で黙々と体を動かしていたのだが、今朝ふと思い立ち、武蔵に手合わせの相手を頼んでみたのだ。
彼は面白がって快諾してくれた。
悠人以上に強い相手がいるのだから利用しない手はない。澪は大いに張り切って挑み掛かるものの、何度やっても軽くねじ伏せられるだけだった。手合わせの意味があるのかも怪しい状態だ。実力が違いすぎることは嫌というほどわかったが、このまま終わるのは悔しく、なんとしてもせめて一矢報いたいと思ったのである。
澪は仰向けのまま、顔の前で両手を合わせて懇願する。
「あと一回でいいから、お願いっ!」
「もう勘弁してくれ。疲れたんだよ」
「嘘ばっかり」
運動量でいえば、攻撃を仕掛ける澪の方が圧倒的に多い。おそらく澪よりもずっと体力のある武蔵が、これしきのことで疲れるとはとても思えない。澪は思いきり頬を膨らませて不服を訴えるが、武蔵は大きく息をつき、ぐったりと澪に覆い被さるように脱力した。彼の体重がずしりとのしかかる。
「ちょっ、重いよ」
「しばらく休ませろ」
武蔵は投げやりにそう言うと、澪の首筋に顔を埋めたまま、はぁっと熱い吐息を落とした。ドクドクと早鐘のような鼓動が、密着した体から伝わってくる。疲れているというのは本当なのかもしれない。
でも、この体勢って——。
先日、武蔵に抱かれそうになったあのときと似たような形になっている。違いは、服を着ていることと手錠がないことくらいだ。意識すると急に顔が火照り、体も熱くなってきた。鎮まれと思えば思うほど、鼓動も速くなっていく。どうしよう、と動けないまま狼狽えていると。
ぎゅるるるるる——。
腹の虫が盛大に悲鳴を上げた。
しん、と時が止まったかのような静寂が訪れる。が、すぐに武蔵はククッと肩を震わせて笑い出した。ゆっくりと体を起こして立ち上がり、両手を腰に当てると、軽く息をつきながら小さく微笑んで言う。
「そろそろ昼飯の準備するか」
「え……あ、うん!」
呆然と頬を紅潮させていた澪は、彼の一言で我にかえった。跳ねるように立ち上がり隣に並ぶ。
「お昼は何?」
「ぶり照り」
「やったぁ!」
武蔵とともに台所の方へ向かいながら無邪気に声を弾ませる。武蔵の作るおかずはどれも美味しいが、その中でも一二を争うくらいの好物なのだ。足を止めずに歩く武蔵を隣から覗き込み、ニコッと屈託なく笑いかけた。
「ねぇ、お味噌汁も作るんだっけ?」
「あった方がいいだろ?」
「うん、じゃあ味噌とか出しとくね」
澪は、武蔵に確認しながら一つ一つ食材を用意していく。
拘束を解かれて以来、いつのまにか食事の準備や後片付けを手伝うようになっていた。武蔵に頼まれたからではなく、暇なので自発的に始めたことだ。家では専門の人材を雇っているのでこういう経験がなく、料理に関してもよくわからないため、食器や食材を用意する程度のごく簡単なことしか出来ない。どれだけ役に立っているかは定かでないが、それでも武蔵は邪険にせず、無理のない範囲で澪のしたいようにさせてくれた。
こういうの、ささやかな幸せって言うのかな?
手際よく料理を進める彼の手元を眺めながら、澪はふとそんなことを考える。人質として拉致監禁された状態でおかしな話だが、彼と台所に立つ時間は素直に楽しく、幸福に近いものを実感していることは事実だった。
「懸賞金の三億円は寄付するらしいぜ」
昼食を平らげたあと、武蔵は思い出したようにダイニングテーブルの隅に手を伸ばし、四つ折りの新聞を掴んでそのままひょいと澪に手渡した。広げると、社会面にその記事が大きく掲載されていた。澪が見つかったので三億円の懸賞金を取り下げること、寄せられた中に有益な情報はなかったこと、三億円は福祉団体に寄付することなどが書かれている。世間の反応が気になったが、そういったことには何も触れられていなかった。
「それで世間が納得してくれればいいけど……あれっ?」
難しい顔で新聞を畳もうとしたとき、ふと隣の見出しが目に入った。
怪盗ファントム 予告通り高塚修司の作品を盗む——。
そういえば、怪盗ファントムの犯行予告があったと、武蔵から数日前に聞かされていた。おそらく怪盗ファントムに扮していたのは遥である。澪がいない分、いつもより人数が少なくて大変だったと思うが、記事を読む限りでは特に問題なく遂行できたようだ。
「良かった……」
澪はほっと安堵の息をつき、胸を撫で下ろした。
「怪盗ファントムの方か?」
「うん、大丈夫だとは思ってたけど」
新聞を畳みながら、クスッと笑って武蔵の質問に答える。しかし、彼の表情は対照的に険しくなった。
「いつまで怪盗ファントムをやるつもりなんだ?」
「え、私たちがハタチになるまでって聞いてるけど」
なぜそんなことを聞くのかと不思議に思いながらも、澪は素直に答えた。本来なら他言してはならないことだが、すでに正体は知られているので、この程度であればもはや隠す意味はないだろう。
武蔵はふいと眉をひそめる。
「やらされてるのか?」
「うん、まあ……おじいさまに絵の尊厳を守るためとか言われて仕方なく……遥だけにやらせるわけにもいかなかったから。私としてはあんまりやりたくなかったんだけどね。何だかんだいっても窃盗は犯罪だし、世間に迷惑かけるし、捕まったら困るし」
澪は肩をすくめて苦笑を浮かべる。仲の良い友人にさえ話せないことなので、ここぞとばかりに愚痴をこぼしたが、それでどうこうというつもりはなかった。だが——。
「それでも、あの家に帰りたいのか?」
「え? うん……それは、そうだよ……」
思いがけない問いかけに戸惑いを隠せない。追い打ちを掛けるように、鮮やかな青の瞳がまっすぐに澪を射抜く。
「俺なら、そんなことはさせないけどな」
武蔵はそう言い残し、空になった食器を重ねて流しに運んでいく。その唇は真一文字に結ばれていた。まるで何かを堪えているようであり、心なしか怒っているようにも見える。何が言いたいのか、何を思っているのか、澪にはさっぱりわからない。ただ彼の端整な横顔を困惑ぎみに見つめるだけだった。
「ん……」
鉛のように重たい瞼がぼんやりと開かれる。
昼食後、何とはなしに布団で横になっていたら、いつのまにか眠りに落ちていたようだ。澪は気怠い体を起こし、眠い目を擦りながら部屋を見まわす。だが、武蔵の姿はどこにも見当たらなかった。シャワーかトイレだろうと特に気にしていなかったが、厚手のカーテンがゆるりと風をはらんでいるのに気付くと、吸い寄せられるようにその窓際へと向かっていった。
カーテンとガラス窓を開き、冴え冴えした外気を感じながら顔を出す。
そこは小さなベランダになっていた。白い塗装がところどころ無様に剥げ落ち、泥で汚れ、隅には濡れた落ち葉が溜まっている。あたりは鬱蒼とした木々に囲まれており、目の届く範囲に他の建物は見えなかった。木々の隙間からは幾筋もの柔らかい日射しが降りそそいでいる。
案の定、武蔵はそのベランダの奥にいた。古びた手すりに腰からもたれかかり、携帯電話を片手に何かを喋っている。相手は誰だかわからないが、まるで友人と話しているかのような親しげな口調だ。ふとこちらを一瞥したものの、特に気に留める様子もなく電話での会話を続けている。
澪は裸足のままベランダに出た。肌を刺すような凛とした空気と、凍てついたベランダの冷たさに、ぶるりと身震いして鳥肌が立った。半袖Tシャツでは厳しい。もう三月に入っているはずだが、真冬としか思えない気候である。
「ああ、じゃあな」
武蔵はそう言って通話を切った。左肘を錆びた手すりの上に置き、右手の携帯電話を掲げて見せる。
「篤史から。行方を突き止めたんだと」
「へぇ、ずいぶん早かったね」
一週間ほどかかるかもしれないという話だったが、まだあれから三日しか経っていない。その間には怪盗ファントムの仕事もあったはずだ。それだけ篤史たちが頑張ってくれたということだろう。
「明日の早朝、橘の屋敷で詳しく話を聞くことになった」
「私も一緒に行けるの?」
「ああ、ただしメルローズを救出するまでは俺の側にいろよ」
「わかってる。約束は絶対に守るから安心して」
澪は寒さを堪えながらそのすぐ隣に並び、ざらついた手すりに指をのせる。吐く息が仄かに白い。その様子を横目でじっと見つめていた武蔵は、腰からもたれかかったまま、手すりに両肘をついて大きく顔を上げた。真上には薄水色の空が広がっている。
「今日でこの生活も最後になる、のかもしれないな」
「最後にしなきゃ。頑張ってメルちゃん助け出そうよ」
澪はグッと両こぶしを握って力強く訴える。が、武蔵は不思議そうな顔をして振り向いた。
「メルちゃん?」
「メルローズだからメルちゃん」
「ああ……」
勝手な呼び方をして彼の気分を害したかと思ったが、そうではなかったようだ。彼は納得したようにひとり頷くと、再び空を仰ぎ、ふっと曖昧な笑みを浮かべて目を細める。
「そうだな、助けないとな」
澪はそっと視線を流して彼の横顔を見つめた。そして、ゆっくりとうつむきながら逡巡すると、下を向いたまま躊躇いがちにそろりと切り出す。
「あの、ね」
「どうした?」
「もしも……もしもだけどね……その、メルローズを助けられなかったとしたら……」
この仮定を口にすることが、どれだけ無神経で身勝手かはわかっているつもりだ。それでも訊かずにはいられない。彼の表情が大きく曇ったのを見て若干たじろいだが、それでも引き下がることなく静かに言葉を継ぐ。
「私、帰れないのかな」
その声に隠しきれない不安が滲んだ。約束では、メルローズを取り戻したあと澪を解放することになっている。取り戻せなかったときの処遇については何も聞いていない。失敗時のことなど考えるべきではないのだろうが、どうなるかわからないからついあれこれ考えてしまうのだ。
武蔵は眉を寄せ、足もとに視線を落として沈思する。
「……帰さない。そういう約束だったはずだ」
「人質として使い道がなくなったとしても?」
「ずっと、一生だ」
彼の声は落ち着いていた。感情的になっているようには思えないが、どこまで本気なのか、あるいは冗談なのか、もしくは牽制なのか、澪には判別することが出来なかった。メルローズを取り戻すことが永遠に不可能となった場合、澪を手放さないことにどんな意味があるのだろうか。考えられるのは復讐くらいだが——。
「なあ……」
今度は武蔵が躊躇いがちに切り出した。目を伏せ、手すりに背を預けたままで続ける。
「メルローズを救出したら約束どおり解放するが、おまえさえ良ければ、そのあともずっと一緒に暮らさないか?」
予想外の提案に、澪は声もなく目を見開いた。
「二人きりじゃなくメルローズも一緒になるんだが……おまえとなら上手くやっていけると思う。あ、いや、別にメルローズの世話を押しつけるつもりじゃない。おまえが好きだから一緒にいたいだけだ。ここじゃなく橘家の近くに部屋を借りてもいい。もちろん外出は自由だし、学校にも行けるようにする。だから……」
「それは、出来ないよ」
ひたむきな訴えに心苦しさを感じながらも、そう答えるより他になかった。
武蔵の顔に仄暗い陰が落ちる。
「俺を、許せないか?」
「そうじゃなくて……私、付き合ってる人がいるし……」
恨んでいるわけではないが想いには応えられない。武蔵ならわかってくれると信じて、戸惑いつつも正直に理由を伝えた。しかし、彼は苦々しく顔をしかめて舌打ちする。
「なるほど、あの会長秘書か」
「あ、師匠は違うよ。ただの保護者」
「保護者……ねぇ……」
眉をひそめ、まるきり信じてなさそうな声音で言う。確かにここ数ヶ月のことを思い返してみると、ただの保護者とは言いがたいかもしれない。だが、澪との結婚を望んでいるなどと暴露して、わざわざ話を煩雑にはしたくなかった。
「付き合ってるのは別の人だもん」
「そいつのことが好きなのか?」
「好きだから付き合ってるんだよ?」
どうしてそんな当たり前のことを訊いてくるのだろう、と訝るように小首を傾げると、武蔵はきまりの悪い顔で逃げるように視線を逸らせた。そのまましばらく曖昧に眉を寄せていたが、やがて意を決したように唇を結び、怖いくらい真剣な顔で澪に向き直って言う。
「俺じゃ、ダメなのか?」
「えっ?」
「その男より俺の方を好きにはなれないか?」
「えっ、あの、そんなこと言われても……」
まさかここまで食い下がってくるとは思わなかった。どう言えば不快にさせることなく納得してもらえるのだろうか。適切な言葉が見つからず口ごもっていると、武蔵は何かを悟ったように自嘲を浮かべた。
「約束どおりメルローズを助けるまでだな」
「うん……ごめん……」
「今晩だけ、にしないといけないんだよな」
「だね」
明日こそメルローズを無事に助け出そうという強い意志を胸に、武蔵と向かい合う。しかしながら彼の青い瞳は揺らいでいた。思わず不安に駆られた澪の頬に、ゆっくりと大きな手が添えられる。その包み込むような優しい温もりに、胸が、身体が、奥からじわりと熱くなるのを感じた。
「む……さし……?」
視線を合わせたまま当惑した声で呼びかけると、彼はすっと目を細めた。頬に置いていた手を黒髪に差し入れて頭を固定し、気持ちを探るように、様子を覗いながら少しずつ顔を近づけてくる。彼が何をしようとしているか、わからないわけではない。心臓は壊れそうなくらいに激しく打っている。けれど、身じろぎもせず為すがままそれを受け入れた。
温かい吐息と、少し冷えた唇が重なる。
そのとき気がついた。すでに身体中の至るところを彼に触れられていたが、唇へのキスはこれが初めてだったということに。別れを惜しむかのような長い口づけ。柔らかな木漏れ日が二人に降りそそぎ、清冷な風になびく黒髪をきらきらと輝かせていた。
最後の晩餐、ということになるのだろうか。
その日の夕食はいつもと変わらないメニューだった。武蔵はせっかくなので特別なものを作りたかったようだが、急なことだったので食材を揃える時間がなかったらしい。しかし、あまり感傷的になりたくなかったので、澪としてはこの方がありがたかった。それでも、最後にもういちど感謝の気持ちだけは伝えておこうと思う。
「ごちそうさま……今までありがとう……」
「ああ……」
それだけで思いのほかしんみりとしてしまい、澪は慌てて笑顔を作ると、逃げるように食器を流しに運んでいく。武蔵も一息ついてすぐに立ち上がった。
二人並んで後片付けを始める。
澪も武蔵も口を閉ざしたまま黙々と手を動かしていた。喋っていればそうでもないのだろうが、ついベランダでの出来事を思い出し、無意識のうちに表情が硬くなってしまう。彼と口づけしてしまったことを後悔するというより、それを抵抗なく受け入れた自分自身に戸惑いを覚えていた。
夜が更けたころ、二人はひとつの布団で横になった。
明日は朝早くに家を出ることになっている。美咲とも対峙することになるかもしれない。きちんと十分な睡眠をとらなければと思うものの、今日のこと、明日のこと、いろいろと考えてしまってなかなか寝付けない。武蔵に背を向けて少し体を丸める。
「澪……」
「ん……?」
背後からの呼びかけに、澪は振り返ることなく微かな声で聞き返す。
「眠れないのか?」
「うん、武蔵も?」
「ああ……」
武蔵は重々しく吐息まじりにそう答えると、おもむろに体を起こして前髪を掻き上げる。澪もつられるように起き上がり、両手をついて隣からそっと覗き込んだ。間接照明の薄明かりは彼の背後にあるため、陰が落ちてよくわからなかったが、随分と苦しげな表情をしているように見えた。
「どうしたの?」
顔を近づけたまま小首を傾げて尋ねる。と、無言で肩を抱かれ、あっというまに懐に引き入れられた。華奢な体はすっぽりと彼の腕に収まる。もそりと頭を上げるが、近すぎて彼の顔はほとんど見えない。
「あ……あの……」
「俺は必ずメルローズを救い出さなければならない。そのためにこの国へ来た。別の可能性を願うことは決して許されない。頭では理解しているつもりだが、気持ちが……ついてこない……」
彼の声は苦悶に満ちていた。
澪は考えを巡らせながら慎重に言葉を紡ぐ。
「会えなくなるわけじゃ、ないよ」
「けれど、おまえは……」
武蔵は言いよどみ、澪を抱きしめる両腕に力を込める。そう、会えなくなるわけではないが、彼の望む形で会うことはできない。受け入れるわけにはいかないのだ。澪はただ押し黙るより他になかった。
長い沈黙が続く。
澪も武蔵も抱き合ったまま動こうとしなかった。互いの鼓動が呼応するかのように合わさり、体温は融け合うかのように重なっていく。微かに触れた熱っぽい呼吸が、自分の体を、相手の体をさらに強く火照らせる。
Tシャツの裾から、大きな手がそっと入り込んだ。
澪はビクリと体を震わせる。
しかし、その手は一瞬の躊躇いを見せただけで、ゆるゆると脇腹の上を彷徨い出した。まるで澪の気持ちを探るかのように——無理強いはしない、という彼の言葉が脳裏によみがえる。嫌だと言えば、やめてと言えば、やめてもらえる確信はあった。けれど、澪はおずおずと彼の背中に両手をまわす。
「澪……」
熱く濡れた吐息まじりの声に耳をくすぐられて、ゾクリと芯から震える。次の瞬間、体が浮いたかと思うと仰向けに寝かされていた。目の前には武蔵の顔があった。暖色の間接照明に照らされ浮かび上がる表情は、怖いくらい真剣で、何かひどく思い詰めているようにも見える。鮮やかな青の双眸には烈しい炎が燃えたぎっていた。
優しく落とされた口づけは、次第に息もつけないほど荒々しいものへと変わる。
その間にも手はTシャツの中へ滑り込み、胸の膨らみをやんわりと揉み出した。指先がその頂きに刺激を与える。唇は耳から首筋へと徐々に下りていき、そして、いつのまにかはだけられた胸元へと向かう。
澪の口から小さな声が漏れ始めた。
互いに求め合っているからだろうか。前回と行為自体に大きな違いはないはずだが、得られる感覚はまったくといっていいほど違った。武蔵は躊躇いなく澪を高みへと押し上げていき、澪は与えられる甘い刺激を貪欲に受け取っていく。澪の控えめな甘い喘ぎ声、二人の息づかいと衣擦れの音、そして体の奏でる音が、暗がりの静寂に生々しく響いていた。
中途半端に脱がされた服が、下着が、ことさら淫靡さを強調する。
「澪……目を開けて俺を見ろ……名前を、呼んでくれ……」
「……っ……ん……」
どこか苦しげな声で求められ、澪は固く閉じていた瞼をそろりと薄く開く。涙の滲んだ瞳に武蔵の顔が映った。名前を呼んでしまえばもう後戻りは出来ない。心の片隅で理性の警鐘が鳴り響いていたが、まるで熱に浮かされたかのように、唇が勝手に彼の名前を紡いでいく。
「む……さし…………ん、ぁっ」
下肢に感じた猛りがゆっくりと中を押し開くように侵入してきた。思わずシーツを掴み白い喉を仰け反らせると、武蔵は汗ばんだ上体を倒して抱きすくめるように覆い被さる。澪も縋りつくようにその背中に手をまわし、力を込めた。緩急をつけて揺さぶられ、打ちつけられ、言葉にならない声が上がる。頭の中は真っ白でもう何も考えられない。ただ息苦しくなるほどの激しい快感だけが、澪のすべてを支配していた。