東京ラビリンス

いつか恋になる - 第6話 十七歳になる君へ(最終話)

「何かお探しですか?」
「あ、はい……彼女の誕生日プレゼントを」
 誠一がガラスケースの中に並べられたアクセサリを眺めていると、営業スマイルを浮かべた完璧な立ち居振る舞いの女性店員に声をかけられた。そのとき、自分が店の雰囲気にそぐわないことをあらためて自覚し、素直に答えながらも萎縮する。
 もうすぐ澪の十七歳の誕生日だ。そして付き合って一年になる。
 十六歳の誕生日のときはプレゼントなど用意していなかったし、付き合ってからも何もプレゼントしていないことに気付き、せっかくなので何か形に残るものを贈ろうと思い立った。さすがに指輪は重い気がするのでネックレスにしようかと考えたが、宝石やアクセサリについては何もわからないため、とりあえず女性に人気のジュエリーショップに足を運んだのである。
 店員が内心どう思っているかはわからないが、表面的には申し分なく丁寧に接客してくれた。贈る相手の年齢や外見などを自然な流れで聞き出し、誠一の希望も取り入れつつ、的確にいくつかのネックレスを提示する。決して押しつけがましくなく、だからといって事務的でもない、寄り添うようなアドバイスを添えながら。
 誠一は見せてもらった中から、澪の好みそうなシンプルなデザインのネックレスを選んだ。プラチナの細いチェーンに小さなピンクダイヤがついたものだ。チェーンも宝石も繊細で品がある。澪の白い肌にはよく馴染むのではないかと思う。
 値段はそれなりに張ったが、財閥令嬢の彼女に安っぽいものを贈るわけにはいかない。いや、彼女ならどんな安っぽいものでも喜んでくれるだろうが、これは誠一なりのささやかな決意と自己満足なのだ。ほんのすこし意地もあったのかもしれない。
 店員に丁寧にお辞儀をされながら、誠一は小さな手提げ袋を持って店を出る。そのとき——。

「あれ、南野さん?」
「佐川?!」
 ジュエリーショップを出た直後にばったり顔を合わせたのは、捜査一課の後輩である佐川だった。澪が捜査一課に差し入れに来ていたころ、辛辣な言葉を吐いて退けた張本人である。いつもの堅く近寄りがたいイメージとは違い、カジュアルな服をセンス良く着こなしている。そういえば彼も非番だった。誠一の出てきた店を無言でしげしげと眺めると、ショップの手提げ袋に目を向ける。
「南野さん、彼女いたんですか」
「ん……まあ……」
 この状況でいないと言うのは無理があるだろう。ここは素直に認めることにした。しかし——。
「もしかしてあの財閥令嬢ですか?」
「えっ……?」
 いきなりズバリ言い当てられ、唖然とした。
 佐川はあきれたような目で溜息をつく。
「やっぱりね」
「いや、違うから!」
「あの子、差し入れとかなんとか言いながら下心丸出しでしたもんね。職場にまで押しかけて気を引こうなんてよくやりますよ。結局、それであの子に落とされてしまったってことですか。まあなんとなくそんな気はしてましたけど」
「だから違うって」
 いくら否定しても、はなから決めつけているらしく聞き入れてくれそうにない。しかも、その決めつけが基本的に間違っていないのがまた困る。誠一の方が嘘なのに強気に主張できるほど図太くはない。どうしようか悩んでいると、佐川がふいに皮肉めいた笑みを浮かべて口をひらく。
「財閥令嬢と付き合うのも大変ですね」
「……そんなんじゃない」
 澪を侮蔑するような物言いにムッとし、素で否定した。
 佐川は吐息をついて冷ややかな視線を送る。
「他人の恋愛に口出しするつもりはないですけど、気をつけてくださいよ。南野さんがボロ雑巾のように絞られて捨てられるのは見たくないんで。俺、南野さんのことはけっこう好きですし」
 一方的に忠告したあと、右手の腕時計を確認して顔を上げる。
「そろそろ待ち合わせの時間なので」
「佐川、その……ここでのこと……」
「言いませんよ」
 口ごもる誠一の言葉を引き取り、さらりと答える。
「見つかったのが俺でよかったんじゃないですか? もうすぐ二課に異動ですから。一課には特に親しくしている人もいないですし、うっかり口をすべらせることもないと思いますよ」
 彼はかねてより希望していた捜査二課に異動することになっている。確かに捜査一課との接点がなくなれば誠一の話題も出なくなり、口をすべらせる心配もなくなるだろう。ただ、それ以前に「言わない」という彼の選択が理解できなかった。
「意外だな……君なら問題視して騒ぎ立てるかと思ったのに」
「援助交際じゃないなら構わないでしょう。俺の彼女も高校生ですし」
「……えっ……ええっ?!」
「それじゃ、これで」
 佐川はいつもより若干砕けた口調でそう言い、軽く右手を上げて立ち去った。
 誠一は驚きのあまりただ呆然とその場に佇んでいた。佐川は誠一より二つ年下だったはずだ。そう考えれば別におかしくはないのかもしれない。いや、しかしあの堅物の佐川である。高校生の恋人にどんな顔を見せるのか想像もつかない。
 だが、そういう意味では誠一も似たようなものだろう。澪と付き合っているなど誰にも想像がつかないはずだ。高校生というだけでなく財閥令嬢というさらに不相応な要素もある。おまけにひいき目なしに美少女なのだ。なんでおまえが、おまえごときが、そう言われることは目に見えていた。
 佐川の言うとおり、見つかったのが彼でまだ良かったのかもしれない。嫌味を言われはしたものの、澪に興味がないからか厳しく追及されることはなかったし、彼自身も高校生と付き合っているなら告げ口の心配もないだろう。親しくない彼と秘密を共有することに抵抗はあるが、仕方がない。
 疲れたように嘆息すると、いつのまにか頬を伝っていた汗に気付いて手で拭った。

 それから数日が過ぎ、澪の誕生日がやってきた。
 できれば当日にプレゼントを渡したいと思っていたが、休暇は取れなかった。ただ、今日の聞き込みは彼女の家からほど近いところなので、大きな事件さえ起こらなければ渡しに行けるかもしれない。そんなかすかな期待を胸に、ジャケットの内ポケットにプレゼントの細長い箱を忍ばせた。
 夕方、一通りの聞き込みを終えて腕時計を見ると、澪が学校から帰宅しているはずの時間だった。彼女が家にいればすぐに渡せるはずだ。戻るか、と言いながら駅に向かおうとする岩松警部補に声をかける。
「すみません、私用ですこし抜けてもいいですか?」
「どのくらいだ?」
「十分、二十分ほど……」
「わかった、俺は先に戻ってる」
「ありがとうございます」
「遅くなりそうなら連絡しろよ」
 岩松警部補もたまに私用で抜けることがあるので言ってみたが、思いのほかあっさりと許可されて拍子抜けした。私用についてすこしは訊かれるかと構えていたのに。一礼して岩松警部補と別れると、正面に見える豪邸を目指して足早に歩きながら、懐から携帯電話を取り出して澪にかける。数コールして彼女が出た。
『もしもし、誠一?』
「ああ……澪、いま家にいるのか?」
『うん、いるけどどうしたの?』
「今から少しだけ会えないか?」
『いいよ、どこへ行けばいいの?』
「今、澪の家の前まで来てる」
『ホント? じゃあ今から行くね。待ってて』
 その声を聞くだけで、彼女の嬉しそうな笑顔が目に浮かぶ。
 誠一は通話を切ると、屋敷横の細道に回り込んで煉瓦塀にもたれかかった。ほんのり冷たくなった秋風がさらりと頬をかすめ、頭上ではさわさわと大木の葉のこすれる音がする。郷愁に誘われるように、澪とのこれまでにぼんやりと思いをめぐらせた。
 誠一の逃がした指名手配犯を取り押さえたのが澪で、それが二人の出会いである。当時の彼女はまだ中学生で、好きだと告白されたものの困惑の方が大きく、どうやって断ろうかとしか考えていなかった。なのに半年後、彼女の16歳の誕生日に付き合うことを了承してしまった。正直に言えば情にほだされただけである。けれど、それから電話をしたりデートを重ねたりするうちに、いつしか彼女への気持ちが大きくふくらんでいた。半年後、誠一の部屋で初めて体を重ねたときには、もう後戻りできないほど彼女が愛しくなっていた。
 それからさらに半年——。
 もしかしたら、澪よりも誠一の気持ちの方が大きくなっているかもしれない。そう思うくらいには溺れていることを自覚している。彼女のあるべき未来を奪ったかもしれないことに罪悪感を覚えながらも、ほかの誰にも彼女を渡したくはないし自ら身を引こうとも思わない。
 ただ、そうは思っていても彼女は財閥令嬢だ。現実的な問題を考えると絶望的な気持ちになる。この先に続く未来があるのかはわからないし、正直あまり考えたくもない。いずれ考えなければならないことは承知している。だが、今はまだ純粋に彼女のことだけを考えて、彼女と過ごす時間の一刻一秒を大切にしたい。

「誠一!」
 大通りの方から、軽やかにアスファルトを蹴る音とともに、彼女の瑞々しくはずんだ声が聞こえてくる。それだけで胸が高鳴り、煉瓦塀にもたれたまま弾かれるように振り向いた。十七歳になった彼女のいる方へ——。