氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

第32話 顔合わせ

 第二王子の結婚による国民の熱狂もだいぶ落ち着き、雪がちらつき始めたころ——。

 そのサイラス第二王子が、妃を同伴してスペンサー邸にやってきた。
 今回はひとりでないこともあり事前にきちんと約束を取り付けて、私的な訪問、つまりアイザックの友人として結婚を報告するために来たのだ。実際はそれぞれの妻の顔合わせのために設けた場なのだろう。
 サイラスは妻たちが仲良くなることを願っている。
 アリアもそのつもりでいる。彼に頼まれたというのもあるが、故郷を離れて嫁いできた妃の力になりたいと心から思っているようだ。妃の祖国グレンシュタインについていろいろと勉強しながら、この日を心待ちにしていた。

「ようこそいらっしゃいました」
 応接室に入ると、アイザックは奥のソファにいる客二人にそう声をかけて一礼した。アリアも隣で一礼する。サイラスしかいないのであれば絶対にこんなことは言わないが、妃もいるので疎かにはできない。
 だがそんなアイザックの思考を読んだかのようにサイラスはふっと笑い、ティーカップを手にしたまま応じる。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。座れよ」
 おそらくあえてだろう。いつものように砕けた調子で向かいを示した。
 その意を汲んで、アイザックはアリアとすぐに応接ソファに腰を下ろした。サイラスの向かいがアイザックで、妃の向かいがアリアだ。そしてサイラスたちの後方には護衛二人と侍女一人が控えている。
 ちなみに護衛のうちの一人は弟のショーンである。真剣に任務にあたっているようで、アイザックを前にしても普段のような笑顔を見せることはない。もちろんアイザックもわざわざ声をかけたりはしなかった。
「紹介する。こちらは妻のアンジェラ。もちろん言うまでもなく知っているだろうけど、隣国グレンシュタインの第一王女だ。縁あって僕と結婚することになり、たったひとりで祖国を離れてこの国に来てくれたんだ」
「アンジェラです」
 彼女は会釈すると悠然と微笑む。
 パレードでの印象どおり華やかな美人だ。近くだとさすがに若さは隠しきれないが、それでもとても十六歳とは思えないくらいの風格がある。ひとまわり年上のサイラスと並んでもまったく見劣りしていない。
「こちらはリーズ侯爵アイザック・スペンサー。シェフィールド公爵の次期後継者で、宰相補佐として王宮でも仕事をしている。彼とは幼少のころから同じ学校で過ごしていてね。数少ない友人のひとりなんだ」
「アイザックです」
 紹介されて丁寧に頭を下げる。
 リーズ侯爵というのは父が所持している爵位のひとつで、いまは嫡男であるアイザックが儀礼称号として使用している。要するにアイザックの公的な呼称のひとつだ。ほとんど公式な場でしか使われないのだが。
「そしてリーズ侯爵夫人アリア・スペンサー。この国では十六歳にならないと結婚できないんだけど、彼女はわけあって特別に十歳で結婚している。現在は十三歳かな。だからアイザックはいまのところ保護者みたいなものだね」
「アリアです」
 彼女はぎこちなくお辞儀をした。
 初対面ゆえに緊張しているのかもしれないし、妃の堂々たる居住まいに気圧されているのかもしれない。それでも親愛を示すようにうっすらと笑みをたたえる。そんな彼女をいじらしく思いつつも。
 保護者——?
 そうサイラスに言われたことにはモヤモヤとしていた。客観的には間違っていないし言わんとすることも理解できるが、アイザックとしてはあくまでも夫のつもりでいるし、保護者などと思ったことはない。
 もちろんサイラスに他意がないことはわかっている。アイザックたちのことをそう思っているというだけだろう。彼はニコニコとして、まだいささか緊張している様子のアリアを微笑ましそうに見守っていた。
「アリアちゃんと会うのは一年半ぶりかな?」
「あ、でも先日の結婚パレードで目が合いましたよね」
「あれは遠目だったからね」
 さすがにあれでは会ったとまでは言えないだろう。サイラスは軽く笑いながら応じると、あらためてアリアを愛おしげなまなざしで見つめる。
「今日こうして近くで見て、アリアちゃんの成長っぷりに本当に驚いたよ。いつのまにか背が伸びてたし、髪も伸びてたし、まさかこんなに女性らしくなってたなんてね……もう立派なレディだ」
 熱のこもった言葉に、アリアは気恥ずかしそうに頬を染めて微笑んだ。
「まだ夜会には行けませんけど」
「行けるようになったら僕とも踊ってくれるんだよね?」
「はい、しっかりと踊れるよう練習しておきます」
 いまもだいたい月に一度くらいは二人でダンスの練習をしている。断じてサイラスのためではないが、彼と踊ることに反対するつもりはない。アリアもきっと家族として交流するのを楽しみにしているのだろう。
 そのとき、アイザックはおそらく彼の妻であるアンジェラと踊ることになる。嫌がられたり怖がられたりしていないか気になり、チラリと目を向けるが、彼女がこちらを意識するような素振りは見られなかった。

「お茶をお持ちしました」
 話が途切れたタイミングで使用人が入室し、お茶を給仕する。
 アイザックたちはもちろん、先に出されていたサイラスたちにも新しく用意された。茶菓子として色とりどりのマカロンも白い皿に盛られている。四人はそれぞれティーカップを口に運んで一息ついた。
「アンジェラ、ここのマカロンは絶品だよ」
 そう言うと、サイラスはひょいと摘まんでおいしそうに食べてみせた。それで彼女も興味を持ったのだろう。素直にマカロンに手を伸ばし、そして小さな口におさめたかと思うとパァッと顔をかがやかせる。
「本当にとてもおいしいですわ」
「だろう?」
 どうやらお気に召していただけたようだ。
 甘いもので顔をほころばせるところは年相応である。そんな彼女を、サイラスはニコニコしながら見守っていた。まだ結婚してひと月くらいだが、思ったよりも二人はうまくいっているのかもしれない。
「あの、アンジェラ様!」
 ふとアリアが意を決したように声を上げた。
 仲良くするという使命感に駆られるあまり気負いすぎたのか、声音も表情もやたらと力んでいて、呼ばれたアンジェラは驚いたような困惑したような顔になる。
「何でしょう?」
「よろしければ今度うちでゆっくりとお茶をしませんか? マカロンだけでなくケーキもご用意しますし、グレンシュタインの伝統菓子もご用意できればと思っています。そこでアンジェラ様とたくさんお話できたらいいなって……」
 今日の顔合わせに向けて、どうしたら仲良くなれるのかアリアなりに考えてきたのだが、あまり気乗りがしないのかアンジェラの反応は芳しくない。途中ですっと抜け落ちるように表情が消えたかと思うと、抑揚のない声で答える。
「わたしの一存では決めかねます」
「問題ないよ」
 横から口を出したのはサイラスだ。
 確かに決定権があるのは夫である彼だが、どう見ても行きたくなさそうなのに気付いていないのか。いや、気付いていてあえて行かせようとしているのだろう。ニコニコとして後押しするように言い継ぐ。
「公爵家なら安全だしね。アリアちゃんとは年齢も身分も立場も近いから、交流があると心強いんじゃないかな。僕としては二人が仲良くしてくれるとうれしい。アリアちゃんがいい子なのは僕が保証するよ」
 ね? とアリアに笑いかけて同意を求める。
 しかしアリアとしては反応に困るだろう。アンジェラを気にしてか居心地の悪そうな様子で目を泳がせると、えっと、そう思っていただけるのならうれしいです……と次第に消え入るような声になりながら答える。
 直後、すっとアンジェラが立ち上がった。
 突然のことに皆が驚き、戸惑い、あたりは水を打ったように静まりかえる。彼女は揺るぎのない表情でまっすぐ前を向いていたが、すっと目を伏せると、隣で座ったままのサイラスを冷ややかに一瞥して口を開く。
「政略結婚ですから、殿下に想いびとがいても仕方がないと覚悟はしていました」
「えっ?」
「ですがわざわざ紹介して仲睦まじさを見せつけたうえ、仲良くしろというのは、妻であるわたしをあまりにも蔑ろにしています。国の友好のためにこの婚姻が必要だということは理解していますし、亀裂を入れるつもりはありませんが、だからといってこの侮辱を黙って受け入れることは我慢なりません」
 そう言い切ると、何かをこらえるようにグッと眉を寄せる。
 隣ではサイラスが顔をしかめつつ額を押さえてうなだれた。最初は何を言っているのかわからず混乱したものの、話を聞いていくうちに事態を把握したのだろう。それはアイザックも同じだった。
「おまえ、言ってなかったのか」
「言ってなかった……」
 その返答に深い溜息をつく。
 だからといって彼を責める気にはなれなかった。彼のまわりでは公然の秘密であり、知らないひとなどいなかっただろうし、そもそも話す機会もほとんどなかったはずだ。失念するのもわからなくはない。
 ただ、アリアに向けるまなざしや態度はいささか甘すぎた気がする。彼に他意がないことは承知しているが、あれほどまでに愛おしさがあふれるような顔をしなければ、彼女が誤解することもなかったのだ。
「アンジェラ、説明するからとりあえず座ってくれないか」
「…………」
 サイラスが声をかけると、彼女は怪訝な面持ちで何か言いたそうにしながらも、結局は何も言うことなく静かに腰を下ろした。一呼吸の後、サイラスはめったに見せないような真剣な顔になって告げる。
「まず、僕とアリアちゃんは血のつながった兄妹だ」
「え…………それ、は……ご落胤ということですか?」
「れっきとした現国王夫妻の娘だよ」
 国王夫妻の子は第一王子と第二王子だけと教わっていたのだろう。なのにそれを覆すようなことを言われて、アンジェラはひどく混乱しているようだった。サイラスは順を追って端的に説明していく。
「彼女は生まれてまもなく占い師に『厄災』だと言われて、始末されることになったんだ。公式には死産と発表されている。でも三年ほど前に生き延びていることが判明してね。公式には認めていないけど、公然の秘密になっている。アイザックと結婚したのもそのあたりの事情が絡んでるんだ」
「…………」
 アンジェラは小さな口を引きむすんだまま、わずかに眉を寄せる。
「嘘だと思うなら、まわりのいろんなひとに聞いてみるといい。みんなはっきりと肯定することはないかもしれないけど、否定もしないはずだから」
 そう言われて、答えを求めるように後ろの護衛二人と侍女一人に目を向ける。護衛のひとりは目を泳がせたものの、もうひとりの護衛であるショーンと侍女は小さく頷いた。それを見てようやくアンジェラは納得したようだ。
「あの、申し訳ありませんでした。とんだ早とちりを……」
 サイラスに向きなおり、言い訳のしようもないとばかりに頭を下げて謝罪する。なめらかな色白の肌はみるみるうちに紅潮していった。
「僕こそ言ってなくてごめんね」
 そう応じたサイラスは、やわらかく優しく慈しむような顔をしていた。
 ただ——とばっちりを受けたのはアリアである。まさか目の前で『厄災』のことまで話されるとは思わなかっただろう。じっと口を引きむすんでうつむいている。それに気付いてか、アンジェラは神妙な顔をしてアリアに向きなおった。
「アリア様にも見当違いなことや失礼なことを申し上げてしまい、また、わたしのために目の前で過去を明かされることになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、それは別に……むしろ……」
 アリアは言いよどむが、やがて覚悟を決めたように顔を上げてつづける。
「自分が『厄災』であることはこちらからお知らせすべきだったのに、失念しておりまして、わたしのほうこそ本当に申し訳ありませんでした。もしアンジェラ様が『厄災』を気にされるのであれば……」
「気にしませんわ。たかが占いでしょう」
 アンジェラはたいしたことではないかのようにさらりと言い、ふっと表情をゆるめる。
 そのときアリアの目がじわりと潤んだ。それをこらえるようにグッと口を引きむすんで眉を寄せるが、やがてゆっくり息をつくと、いささかぎこちないながらもどうにかニッコリとしてみせた。
「アンジェラ様。わたしも故郷を離れて王都に嫁いできたので、いままで同じ年頃の友人がいませんでした。お茶会でも母と同じ年代の方たちばかりで。ですから仲良くしてくださるとうれしいです」
「わたしもこの国に来たばかりで友人がいないの。ぜひ仲良くしたいわ」
 そう言葉を交わし、二人してすこし照れたように笑い合った。
 いまのアンジェラはマカロンのときと同じく年相応に見える。もっとも言うべきことは物怖じせずにきっぱりと言うタイプのようだが、アリアとしてはそういうほうがつきあいやすいらしいし、相性は悪くないのかもしれない。
「お茶のお誘いもぜひお受けしたいわ」
「ありがとうございます」
「わたしもご招待するからいらしてね」
「わあ、楽しみです!」
 声をはずませる二人に、アイザックは胸の内でひそかに安堵していた。
 サイラスもあからさまに安堵して大きく息をついている。目が合うと、彼はふっとやわらかな笑みを浮かべて紅茶に手を伸ばし、まるで乾杯でもするかのように軽くティーカップを掲げてみせた。
 まあ、結果的には上手くいったしな——。
 アイザックも紅茶に手を伸ばし、無表情のままわずかにティーカップを掲げて彼に応じた。